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八幡古墳群 やわたこふんぐん (平塚古墳 八幡二子塚古墳 八幡観音塚古墳 八幡遺跡20号墳) |
烏川と碓氷川に挟まれた八幡台地の南側(碓氷川寄り)に八幡古墳群が築かれた。北側は若田原遺跡群だ。 八幡古墳群の真ん中にある観音塚考古資料館(以下、資料館)には、駐車場、トイレはもちろん、古墳石室見学用の懐中電灯まで用意してあった。ただ、土曜の午後に訪れたらほかに見学者はいなかった。資料館までは高崎市のコミュニティバス「ぐるりん」を、高崎駅や群馬八幡駅から利用できる。 では、築造された順に、5世紀後半の平塚古墳→6世紀前半の八幡二子塚古墳→6世紀後半の八幡観音塚古墳を紹介しよう。いずれも資料館から歩ける距離だ。古墳巡りの最後には、資料館の敷地に移設された八幡遺跡20号墳も触れたい。 <参考HP> 高崎市>観音塚考古資料館 平塚古墳 ひらつかこふん (高崎市八幡町毘沙門甲863-1、861-1ほか・前方後円墳) |
(いずれも2019.2撮影) |
平塚公園の背後の森(林?)に、全長105mの平塚古墳は隠れている。別名は、碓氷郡八幡村6号古墳。 公園には誰もいなくて、親子の人物埴輪のモニュメントが立っているだけだ。親の髪型は庇のような古墳島田なのでお母さん、子どもは髪をセンターで分け、耳のあたりで丸く束ねる美豆良(みずら)を結っているので男の子とわかる。そして、モニュメントの周りは、前方後円墳の形にレンガで縁取りされている。 墳頂を訪れるために左手、裏側の細いコンクリ道を登った(右の写真)。上から男性が降りてきて「こんにちわ」と挨拶され、こちらも「失礼します」と応えた。 はじめに径66mの後円部を訪れ、大きな石碑とみえたのは墓石だった。後円部では舟形石棺が2つ見つかったが、いまは埋め戻されている。早々に前方部へ向かうがここも墓地だった。(いずれの墳頂も撮影は遠慮した。)鞍部の辺りにはコンクリの土台のようなものが残っていて、建物があったのかも知れない。 八幡二子塚古墳 やわたふたごづかこふん (高崎市八幡町字二子塚796ほか・前方後円墳・市指定) |
全長66mの前方後円墳は、碓氷郡八幡村1号古墳だ。鉄パイプで囲まれていて、内にはゲートボール場と簡易トイレがあった。 資料館の第二駐車場があっても、1台も駐まっていない。資料館との近さを示しているだけで、資料館も高崎市の軽自動車が止まっているだけだった。この第二駐車場の後ろ、古墳の裾に巨石がゴロゴロ、これは石室の石材なのか。周堀からは埴輪、須恵器などが発掘されているが、主体部は未調査で、横穴式石室と考えられている。 八幡村の古墳について 八幡村は昭和30年には高崎市に編入しているが、1号がこの古墳なので八幡村のナンバー古墳をまとめておきたい。だいたい南から北へ向かって番号を振ったようだ。 碓氷郡八幡村1号古墳…八幡二子塚古墳(この古墳) 6号古墳…平塚古墳(この頁の古墳) 7号古墳…八幡観音塚古墳(この頁の古墳) 9号古墳…若田大塚古墳 14号古墳…楢ノ木塚古墳 16号古墳…峯林古墳 24号古墳…剣崎長瀞西古墳 <参考HP> 高崎市>八幡二子塚古墳 八幡観音塚古墳 やわたかんのんづかこふん (高崎市八幡町後観音1087、観音塚1031〜1035ほか・前方後円墳・国指定) |
別名、碓氷郡八幡村7号古墳。墳丘全長が105mもあり、周囲は宅地化されて全体を撮影できなかった。写真は、葺石の多い前方部から後円部を望んでいる。 後円部の南側に、両袖型の横穴式石室が開口している。案内板は石室の全長15.3m、玄室長7.1m、同幅3.4m、同高2.8mというが、高さがあるといって安心できない。頭にぶつかったのは玄門石か。頭上注意! 10畳大の巨石も組み上げられていて、こんな大きな石室は行田市の八幡山古墳石室以来だ。写真は左が玄室、右は玄室から開口部を望んでいる。 なお、墳丘全長105mは案内板の数値であって、高崎市のHPでは97m。差の8mは削って、道路にでもしたのかな。 使い慣れた小型の懐中電灯があるので、資料館では借りなかった。開口部は大きく感じなかったのに、石室内部はちがった。うす暗い広い空間は、手持ちの懐中電灯では用をなさなかった。ただ、当日は晴れていたので開口部からの光と、デジカメのフラッシュが頑張ってくれてなんとか撮影できた。 そして、この石室が昭和20年3月に防空壕をつくるときまで盗掘に会わなかったおかげで、30種300点の副葬品をいま見られる。 銅鏡・銅鋺、刀剣類、馬具、須恵器などで撮影可で資料館に展示してある。とりわけ、左上の承台付銅碗(複製)、左下の金銅製心葉形透彫杏葉(ぎょうよう、馬具の一部)は評判どおり秀逸だった。 なお、画文帯環状乳神獣鏡(複製)はほかに全国で5つの同型鏡があってちかくでは、さきたま史跡の博物館でも見られる(さきたま古墳群の稲荷山古墳出土)。 見学が終わり、陽も傾いてきた。これから高崎市街へいって、群馬交響楽団のコンサートを聴くにしても開演時間にはまだ余裕があった。 <参考HP> 高崎市>観音塚古墳(高崎市の文化財) 高崎市>上野国八幡観音塚古墳出土品 八幡遺跡20号墳 やわたいせき20ごうふん (高崎市八幡町800-144 観音塚考古資料館・円墳) 資料館の前、駐車場脇の1段低いところに天井石のない石室があった。昭和63年と記された案内板は、前年に発掘調査した古墳時代後期の円墳で、一部を修復移設したと述べている。 実測図によれば径12m、石室の全長3.8mで、刀や金環などが出た。 トップ(この頁のいちばん上へ) |