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剣崎長瀞西古墳 けんざきながとろにしこふん (高崎市剣崎町1365-1・帆立貝式) |
(耳飾り2024.10、ほか2019.2撮影) |
剣崎長瀞西遺跡は朝鮮半島からの渡来人の、ムラの跡と古墳群(円墳、方墳、方形積石塚)で構成される。 前橋から安中に向かう群馬県道10号は、烏川を渡ってヘアピンカーブを上りきったら、八幡台地の北端に至る。西部小学校の北東に、全長30mの5世紀後半に築造された剣崎長瀞西古墳がある。別名、碓氷郡八幡村24号古墳で、古墳群の西南に位置している。(ムラの跡は古墳群の東に。) はじめに右下、3枚組の写真を紹介しておこう。上から順に剣崎長瀞西遺跡群集墳配置図(観音塚考古資料館のパネルから)、剣崎長瀞西古墳のイメージ図(現地案内板から)、金製垂飾(すいしょく)付耳飾り(さきたま史跡の博物館の企画展で撮影)である。 なお、古墳も遺跡も同じ名前の剣崎長瀞西なので、ご注意を。 剣崎長瀞西古墳はフェンスで囲まれ、「無断でフェンスの中に入らないで下さい」と、高崎市の水道局と教育委員会の連名で注意書きがあった。浄水場がちかくにあって、この辺りは水道局の敷地のようだ。 案内板によれば、墳形が円墳または帆立貝式で、2段築成の1段目テラス部分は南側で広くなっているので帆立貝式の可能性を指摘している。が、イメージ図を見たら帆立貝式だった。 主体部は2カ所あって、墳頂と南側テラスに竪穴系の埋葬施設が確認されている。畑にでもしようと思ったのか昭和7年、墳頂の開墾時に出土した副葬品は東京国立博物館へ。 また、剣崎長瀞西遺跡には、渡来人を思わせる多数の副葬品が出土し一部を観音塚考古資料館で見られる。 なかでも、金製垂飾付耳飾りは素晴らしい出来で、耳環(イヤリング)の下に取り付ける。写真の左に写っている耳環は、埼玉県神川町の青柳古墳群南塚原支群から出土したものである。 <参考HP> 高崎市>剣崎長瀞西遺跡出土品 |