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新田義貞駒繋の松 …こまつなぎのまつ (狭山市入間川3-6-14 狭山八幡神社境内) |
(いずれも2020.10撮影) |
鎌倉攻めの際、小手指ヶ原で北条軍と戦った新田義貞は当地の八幡神社に立ち寄り、戦勝を祈願したという。 そして、義貞の馬はこの松の木に繋がれていたので、駒繋の松といわれる。右の写真で、左の写真の黄色い矢印のところにある。 階段てまえの看板が目立つので、場所はわかりやすい。階段を上れば松は根元あたりを残し、ちかくにも幹の残骸?があった。 3つの案内板はそれぞれ、八幡神社獅子舞(市指定)、砂波利(さはり)の壺(県指定)、八幡神社本殿(市指定。いまの本殿は江戸時代末期の建造)を説明したもので、駒繋の松については無い。 若木が新しく植えられていたのは、朽ち果てるのを想定してか。せめて、雨露を防ぐ覆屋がほしいところだ。 群馬県は太田市の、義貞が挙兵した生品神社の神代木は屋根付きだ。そして、同市にも義貞駒つなぎの松がある。 <参考HP> 狭山市>駒つなぎの松 |