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小手指ヶ原古戦場 こてさしがはら… (所沢市北野2・県指定) |
(いずれも2019.10撮影) |
狭山ヶ丘駅から小手指駅に向かう西武池袋線、昔むかし車窓から眺めたのは、小手指ヶ原の原風景だったのかな。市街化が進んでも、古戦場あたりはいまだ武蔵野の面影が残っていた。 鎌倉街道を南下した新田義貞が、幕府軍とはじめて干戈を交えたのが小手指ヶ原。いまは、「小手指原古戦場」と刻まれた石碑と案内板(右の写真)があるのみで、ちかくの入間基地を飛び立った飛行機の爆音が響いていた。案内板によれば、30回を超える打ち合いをして、分倍河原に舞台を移したという。 石碑の西、お茶畑越しに見えるのは木々に囲まれた白旗塚で、義貞が源氏の旗印(白旗)を立てた伝説がある。古墳という説もあるが、確証はない。丸墓山古墳(さきたま古墳群)の石田三成、軍配山古墳の滝川一益と同じく、義貞も古墳?のうえで指揮を執ったのか。 階段のてまえに「白旗塚土盛修復記念碑」の木柱(左下の写真)、階段を上れば「白旗塚 浅間神社」の石碑(左上の写真)があって、富士塚だったのは確かだ。 なお、北50mほどに縄文時代の住居跡に建てられた、所沢市立埋蔵文化財調査センターがある。特筆すべき埋蔵物は少ないようだが、一室ではミヤコタナゴを飼育していた。また、2階では整理作業をする職員の姿を眺められた。 <参考HP> 所沢市>小手指ヶ原古戦場 |