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乙百円券 |
●昭和5年、金解禁に合わせ発行。初登場、聖徳太子像はお札の代名詞に。 昭和5年発行 寸法:93ミリ×162ミリ 田中義一内閣は、モラトリアム(支払猶予令)によって金融恐慌をようやくしずめました。昭和2年の恐慌では多くの中小銀行が休業し、大銀行を抱える三井や三菱など財閥の支配が強まりました。 田中内閣のつぎに組閣したのは浜口雄幸ですが、不況にあえぐ経済を建て直すため、財政の緊縮、産業の合理化をしても、不況はますます激しくなりました。さらに、昭和5年には井上準之助蔵相による金解禁も失敗に終わっています。 さて、昭和2年、兌換銀行券整理法の公布によって、明治、大正の兌換券が新券と交換される運びになりました。一円券は整理の対象にはならないで、現在でも有効のままです。 この整理法は、関東大震災などによる滅失した兌換券高を把握して、兌換準備の金の保有量を見直すためのものでした。 明治33年に発行された甲百円券は、30年ぶりに改造されます。肖像は明治20年の閣議で承認した歴史上の人物のうち、まだ採用されていない聖徳太子像に決定されました。 大正13年からこの百円券の改造は進められていましたが、試作版の改刻などに時間がかかって、昭和3年から製造され、金解禁を記念して昭和5年にようやく登場しました。乙百円券の表面左側は、太子の学問所だった法隆寺の夢殿です。 同じ昭和5年に五円券(菅原道真)、十円券(和気清麻呂)、翌昭和6年に二十円券(藤原鎌足)が発行されました。 なお、昭和33年発行の一万円券まで7回も肖像となった聖徳太子像はお札の代名詞でしたが、昭和59年の新券発行によって姿を消しました。 |