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日本銀行兌換銀券十円券(大黒札) |
●兌換文言、「此券引かへに銀貨拾円相渡可申候也」。偽造防止に青インク、強靱性向上にコンニャクの粉。 明治18年発行 寸法:93ミリ×156ミリ 明治政府が不換紙幣を乱発した結果、インフレが続いていました。さらに西南戦争の莫大な軍事費のため、激しいインフレを起こして物価が騰貴し、財政は著しく混乱しました。そして、その後の松方正義によるデフレ政策ははなはだしい不況を招きました。 明治政府は金融制度を確立するために、明治15年国立の中央銀行として日本銀行を設立し、日本銀行は兌換銀行券条例により、明治18年から銀貨と兌換できる銀行券を発行しました。銀本位制です。 百円、十円、五円、一円の4種類がありましたが、政府紙幣、国立銀行券(実態は私立銀行券)の二元的な流通から、日本銀行券一本に統一されました。 表面には「此券引かへに銀貨拾円相渡可申候也」などと兌換文言が入っていますので、この紙幣を銀行に持っていけば、銀貨と交換できるようになったのです。 兌換銀券は写真を悪用した偽造を防ぐため、表面凹版の印刷部分は青色インクで刷ってあります。当時の技術では、青色の複写が困難でした。ただ、インクに顔料の鉛白が混ぜてあったので、硫化水素と化学反応を起こして黒くなってしまい、温泉地などでは偽造券騒動が起こったくらいです。 また、十円券にははじめて「黒すかし」の、打ち出の小槌、分銅、巻物などの宝物が抄り込まれました。 さらに、用紙の強さを高めるために、コンニャクの粉を混ぜたので、ネズミや虫に食われてしまう事態を引き起こしました。図柄をよくみると3匹のネズミがいて、不思議な因縁ですね。 この兌換銀券には、米俵に乗った大黒天像が図柄に採用されているため、「大黒札」と親しまれました。なお、大黒天像は五円券だけは裏面にあります。 |