最後の将軍、徳川慶喜は慶応3年10月に大政を奉還しました。討幕の密勅を受けていた薩長が、岩倉具視などと運動を進めて、王政復古を宣言したのが12月です。およそ270年続いた徳川幕府は終わり、明治新政府が成立しました。
日本でそのころ流通していたのは金、銀、銅などの貨幣で、交換比率は複雑でした。各藩からは藩札が乱発され、通貨制度は混乱していました。
政府は厳しい財政事情を打開し、全国的に流通する紙幣を発行します。太政官札といわれるもので、三岡八郎(のちの由利公正)の献策によって、太政官会計局から発行されました。
でも、政府の権威はまだ確立していません。兌換の用意もありません。民部省札のほか藩札なども流通し、また印刷技術の稚拙さから偽札が横行して、通貨制度は混乱したままでした。
政府は高級印刷による統一紙幣の必要性を痛感しますが、日本にその技術はありません。そこで、高度の印刷技術を誇っていたドイツに、新紙幣の製造を依頼しました。
地紋と模様は彼の地で印刷され、明治通宝の文字、印は日本で加刷しました。ドイツでつくられたから「ゲルマン紙幣」といい、「明治通宝札」とも呼ばれています。のちに原版を取り寄せ、すべて日本で印刷しています。
明治5年4月にはじめて発行され、百円、五十円、十円、五円、二円、一円、半円、二十銭、十銭の9種でした。五円以上は凹版で印刷され、太政官札と同じように縦型。図柄は鳳凰や龍などで、肖像は採用されていません。
新紙幣はデザイン、印刷ともに従来のものとは比較にならないほど優れ、新しい時代を実感した人々の、政府への信用は高まりました。
|
|