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交換国立銀行紙幣五円券 |
●国産第一号の、洋式紙幣。一円券は水兵(富国強兵)、この五円券は鍛冶屋(殖産興業)の図柄。 明治11年発行 寸法:89ミリ×174ミリ 政府発行の不換紙幣を整理するために、アメリカのナショナル・バンクの制度を参考にして、明治5年に公布されたのが国立銀行条例です。民間の設立希望を募って翌明治6年から、東京、横浜、大阪などに国立銀行が設けられました。ですから、国立銀行といってもナショナル・バンクの直訳で、実態は民間の銀行なのです。 でも、資本金の額に応じた、同額の金貨と交換できる兌換銀行券の発行が重荷になってか、国立銀行の経営は大変でした。明治9年に条例を改正して兌換義務を免除したり、金禄公債証書での設立を認めたら、紙幣を発行する銀行が各地にできました。 国立銀行は東京の第一国立銀行から京都の百五十三国立銀行まで、153行ありました。 現在でも行名に数字のつく銀行は残っていますね。仙台市の七十七銀行、新潟市の第四銀行、岐阜市の十六銀行、津市の百五銀行、高松市の百十四銀行、長崎市の十八銀行です。 アメリカに製造を委託した銀行紙幣(旧券)は、いまの国立印刷局である紙幣寮が銀行名、頭取名などを加刷したうえで、各銀行に交付していました。 明治15年、日本銀行の設立によってこれらの銀行は紙幣を発行する特権を失い、普通銀行に転換していきます。普通銀行の歴史は日本銀行より古いんですね。 さて、政府は近代紙幣を国産するために、凹版彫刻画師のキヨソネ(イタリア人)などお雇い外国人を招きました。彼らから伝習を受けて誕生したのが、この精巧な交換国立銀行紙幣(新券)です。 アメリカ製の国立銀行紙幣と交換するために、一円券は明治10年、五円券は11年から発行をはじめました。横長型で表裏とも凹版一度刷、凸版数回刷です。一円券は水兵、五円券には鍛冶屋の図柄が採用されていますが、当時の日本が近代化のために富国強兵、殖産興業に取り組んでいたからです。 |