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山上古墳 やまのうえこふん (高崎市山名町2104・円墳・国指定) |
(いずれも2019.5撮影) |
山上古墳に辿り着くまでは、上野三碑(こうずけさんぴ)の旗が目立ち、電柱にも行き先表示があった。 ユネスコ「世界の記憶」の山上碑に比べて、東隣にある山上古墳の注目度は低いようだ。標柱も「山上碑及古墳」と碑がさきだ。ただ、碑及古墳に至るには、階段が待ち構えている。居合わせた職員の方によると、長い階段を見上げて、諦めて帰る足の弱い方もいるとか。 (写真の左の建物に山上碑が保存され、右下は玄室の様子だ。) 石室に虫が発生していると、案内板に注意書きが下がっていた。案内板によれば、山上古墳は径15m、高さ5mの、7世紀中葉に築造された小さな円墳である。横穴式石室は凝灰岩の切石を用いている。奧壁は一枚岩ではなくて右上に、小さな切石を組んでいるのが面白かった…、後から修理した継ぎ接ぎのようで。 奧壁まえに置かれている石像物については、別の案内板「三郡坂東の札所 窟堂址(馬頭観音)」には、「この国指定の山の上の古墳の中に馬頭観音が祀られ…」とあった。いずれにしろ石室は古くから開口していて、副葬品は不明である。 山上古墳は山上碑の碑文から山名地域の首長の墓らしく、娘の黒売刀自(くろめとじ)が追葬されるときに碑が立てられた。山名古墳群の山名伊勢塚古墳、中塚古墳は山上碑や山上古墳との関係があり、該当頁でご確認下さい。 <参考HP> 高崎市>山上碑及び古墳 |