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高坂1号墳 たかさかいちごうふん (東松山市高坂834 高済寺・前方後円墳) |
(いずれも2019.11撮影) |
上の写真はいかにも前方後円墳といった趣だが、角度を変え真横から撮ったのが下の写真である。 前方部があまりにも長いと思ったら、前方部を活用したというか、前方部に付け足した土塁なのであった。甍屋根は高済寺の本堂で、この古墳は高済寺古墳ともいう。(高坂古墳群についてはこちらを。) 左下の図は青が堀跡で、黄土色が土塁残存箇所で、太いところが後円部。赤い星印は、この図を撮った案内板のある現在地だ。なお、いままで見学した古墳で、土塁に利用した例は木ノ本古墳群3号墳(深谷市)がある。 いま高済寺になっている地所は南北朝時代につくられた高坂氏の居館跡で、氏は鎌倉幕府に対する平(へい)一揆の乱で没落している。応安元年(1368年)に起こった平一揆の乱については、河越館跡でも触れている。 案内板は、土塁は戦国期に整備されたと推測している。高坂藩の初代藩主は加賀爪直澄で、寺社奉行まで勤めたが天和元年(1681年)に領地を没収されて、後円部は加賀爪氏の墓地になっている。なお、案内板には古墳についての記述は無い。 |