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酒巻古墳群 さかまきこふんぐん
行田市酒巻・前方後円墳3基、帆立貝型1基、円墳19基)
酒巻古墳群の分布図(行田市)
(蛇行状鉄器2018.9、馬の装い2019.1、馬形埴輪2019.10、
力士埴輪2024.11、ほか2020.11撮影)
地上に酒巻古墳群の痕跡はまったく無く、地盤沈下と利根川の洪水で地下1mから1.5mに埋もれている。この地で古墳群の存在を語るのは、酒巻会館(集会所?)よこにある案内板がすべてだ。会館まえを羽生妻沼線が走り、北には利根川の堤防が迫っている。
上の分布図は案内板から撮って、2枚の写真を添付した。上の写真が酒巻会館(青い★のところ)で、下の写真は会館より西方である。

酒巻14号墳出土の蛇行状鉄器、馬形埴輪、馬の装い模型(行田市)案内板によれば、6世紀初頭から7世紀前半に築造された、古墳時代後期の群集墳である。
23号墳までナンバーが付けられ、全長または径は9〜46m。分布図ではナンバー11が無く、左上の破線の○かな。(4つある破線の○は未調査の円墳。)
古墳群は埋もれていたので、埴輪や土器は当時の位置で、良好な状態だったという。
案内板には8枚の埴輪写真が掲載され、お気に入りは14号墳のテラスに並んでいた馬形埴輪。国の重文で、旗付きはほかに無く、日本で唯一の貴重な埴輪だ。ちなみに、14号墳は径34m弱の円墳で、6世紀末の築造である。
将軍山古墳(さきたま古墳群)の石室から蛇行状鉄器(だこうじょうてっき)が出土したが当時、使い方が不明だった(右上の写真でさきたま史跡の博物館にて撮影)。鞍に旗をセットする金具だとわかったのは、この馬形埴輪のおかげである。
蛇行状鉄器は西日本では、団栗山古墳(奈良県田原本町)ほかで出土している。

出土した埴輪は忍城跡にある行田市郷土博物館に展示されていて、見学日の第4金曜日は休館だった。
帰宅後に手持ちの写真を調べていたら幸い、さきたま史跡の博物館での企画展で撮ったものが保存されていた。右中の写真で、右下は将軍山古墳の展示館にあった馬の装いの、たぶん原寸大の模型。
力士の男子人物埴輪(行田市)<追記>
後日、行田市郷土博物館を訪れる機会があった。常設展示のほか、企画展「布をまとう」でも14号墳の埴輪が展示されていた。ただ、旗付きの馬形埴輪は、東京国立博物館の特別展「はにわ」に出張していて不在だった。残念。
展示品のなかでは、力士の男子人物埴輪に目を引かれた。この力士埴輪はまわしを締めているので力士に間違いは無いのだが、耳や首を飾り、上着、ズボンを着用のうえ靴まで履いていた。
<参考HP>
行田市>酒巻14号墳出土埴輪
埼玉県立さきたま史跡の博物館>蛇行状鉄器