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龍角寺古墳群 りゅうかくじこふんぐん
(千葉県栄町、成田市・前方後円墳37基、円墳71基、方墳6基・国指定)
龍角寺古墳群マップ(千葉県栄町、成田市)
(マップ、写真はいずれも2025.12撮影
龍角寺古墳群は千葉県栄町から成田市にあって、114基(下記、<参考HP>の千葉県教育委員会では115基)で構成される。成田市は29基なので、多くは栄町に存在する。そして、千葉県立房総のむらに7割を超える古墳が存在し、築造は6〜7世紀。古墳群の北にある龍角寺の創建は、7世紀後半だ。
栄町の岩屋古墳だけ国指定されていたが、範囲を広げ古墳群としての指定となった。なお、掲載のマップは風土記の丘資料館ちかくの案内板から撮って180度回転し、古墳名と資料館名を付記した。
<参考HP>
成田市>【国指定史跡】龍角寺古墳群・岩屋古墳
千葉県教育委員会>龍角寺古墳群・岩屋古墳

龍角寺101号墳(成田市大竹・円墳)
龍角寺101号墳(成田市)
旧学習院初等科正堂をあとに101号墳に向かうと、風に揺らぐススキが群落をつくっていた。(日本のススキ、外来のセイタカアワダチソウに負けないで。)
古びても案内板があって、ひと安心。案内板の文末に「6世紀前葉に埴輪を立てて築かれ、7世紀初頭まで何回も埋葬が行われた」と述べられて、この101号墳は埴輪と埋葬に特徴がありそうだ。

龍角寺101号墳の埴輪(風土記の丘資料館、千葉県栄町)円筒埴輪は120体超が墳丘を巡り、人物埴輪や動物埴輪などの形象埴輪が台状部に30体、集中していた。いまはレプリカが往時の景色をなぞっている(実物は風土記の丘資料館に展示)。
埋葬施設は墳頂に木棺1基、墳丘裾のテラスに箱式石棺2基、そして周溝にも石棺1基、土壙(どこう)1基と、その種類と場所はさまざまだ。また、墳丘の石棺からは8体の人骨が見つかっている。
柵内立入禁止の看板があるので、最後にせめて一周してみようと歩いていたら行き止まりになっていた。径25m、高さ3.6m。
<参考HP>
体験博物館 房総のむら>古墳群

龍角寺105号墳(岩屋古墳 いわやこふん)
(千葉県栄町龍角寺・方墳)
龍角寺105号墳(岩屋古墳、千葉県栄町)
岩屋古墳のあるところは開けていて、広々とした空間だ。岩屋古墳もどっしり構えて、しかも方墳ではないか。一辺78m、高さ13.2mで、築造は7世紀中ごろ。
案内板を読んでみたら、印波(いんば)国造一族の墓と考えられるという。公津原39号墳は初代印波国造の伊都許利命(いつこりのみこと)の墓で、こちらは一族の墓か。大きすぎるよ。
「古墳の保全のため登頂はご遠慮下さい」の看板があるので、期待するのは2つの石室でそれぞれに案内板がある。

まず、鉄格子ごしに見学できる西石室だ。切石積みの横穴式石室で、石材は貝化石を含んだ軟質砂岩、貝化石を含まない軟質砂岩、そして筑波山系の片岩(筑波石)。東石室も切石積みの横穴式石室で、石材は貝化石を含んだ軟質砂岩、筑波山系の片岩だ。そして、内部は山砂が充填され、追葬のためか石室は改変されている。
龍角寺104号墳(千葉県栄町)<参考HP>
体験博物館 房総のむら>古墳群

龍角寺104号墳
(千葉県栄町龍角寺・円墳)
岩屋古墳の西隣。径30mの、あまり目立たない円墳だ。石室は床面を除いて、貝化石の砂岩。
簡単な案内板は、岩屋古墳はこの104号墳を破壊しないよう配慮されているので、さきに104号墳を築造したという。(案内板からの実測図参照。)
さて、案内板のマップを見ると、大きな四角は岩屋古墳。隣は104号墳で令和6年の調査で円墳と判明したので、いまは丸が正しい。

龍角寺106号墳
(みそ岩屋古墳 みそいわやこふん)

(千葉県栄町龍角寺・方墳)
龍角寺106号墳(みそ岩屋古墳、千葉県栄町)
正直にいうと、よく覚えていない古墳だ。とっても大きな岩屋古墳を見学した後なので、仕方ない。さきに、みそ岩屋古墳の見学をお勧めします。
案内板も説明は短く、岩屋古墳との共通点を力説している。切石積の横穴式石室や3段築成、それから、石室の石材(貝化石混じりの軟質砂岩)などだ。一辺35m、高さ4.7mで、7世紀後半の築造。
別名の「みそ」は味噌と思うけど、「みそっかす」という言葉と同じかな。小さな子どもの意味で、岩屋古墳が大人だとしたら、みそ岩屋古墳は子どもだ。

龍角寺111号墳
(浅間山古墳 せんげんやまこふん)

(千葉県栄町龍角寺・前方後円墳)
龍角寺111号墳(浅間山古墳、千葉県栄町)
車では主要道路から行けないので、回り込んでみた。グーグルマップのピンを頼りに進むが、古墳見学者の行く手を妨げる細い農道がつづく。そして、待避所のような空きスペースがあり、ここからは自分の足だ。歩きでもピンが頼りで、案内板をみつけて苦労が報われた。やはり、風土記の丘資料館の駐車場から歩きにすればよかった。

案内板によれば浅間山古墳は全長78mほどで、龍角寺古墳群のなかで最大かつ最後の前方後円墳だ。ただ、冬でも落葉しない木々に覆われて墳丘がはっきりせず、大きさを実感できなかった。
左の写真は裾から見上げる後円部で、立派な階段だ。右は後円部墳頂にある祠で、前方部方向を望んでいる。
前方部幅58m、高さ7.2m、後円部径52m、高さ8mの3段築成。築造は7世紀前半で、発掘調査されたのは平成8年度だ。
龍角寺111号墳(浅間山古墳)の石室模型(風土記の丘資料館、千葉県栄町)漆塗木棺が安置されていた横穴式石室は筑波山系片岩、通称筑波石の板石組で、埋め戻されたようだが、模型が資料館に展示してある。
模型の説明パネルでは、発掘調査で苦労して辿り着いた石室は羨道の扉石が外され、平安時代の灯明皿が置かれていたという。ただ、盗掘されても残された副葬品のなかには、杏葉や冠飾の主要部分があった。
箱式の石棺は石室と同じ筑波石の板石を組み合わせたもので(左下の写真、奥壁のまえに箱式石棺が覗いている)、石棺内は榎の実の殻、謎の白い灰が2センチほど積もっているだけだった。
えっ? 現地の案内板では漆塗木棺では? 2つあって、どちらかが追葬なのかな。

なお、風土記の丘資料館周辺の古墳なども撮っておいたので、新たに頁を設けて紹介します。