| ホーム | 古墳 | 城郭 | 旧跡ほか |
|
| 公津原古墳群 こうづはらこふんぐん (成田市・前方後方墳1基、前方後円墳5基、方墳5基、円墳29基・県指定)
|
|
公津原古墳群については、10号墳に案内板がある(右の写真。古墳群の説明で、10号墳のではない)。古墳群を構成するのは成田ニュータウン内に35基と周辺の5基。江戸末期には80基ほどあったというが(『利根川図志』)、実際にはもっと多かったのではないか。ニュータウンの開発によってかなり消滅し、いまや40基である。昭和44年からの調査により、5〜7世紀の築造と考えられている。当時、公津原古墳群は印波国(いんばのくに)に含まれ、大和朝廷から任命された国造に治められていた。ちかくの印旛(いんば)沼は印波国から名付けられたのかな。 なお、古墳ごとに青や緑の案内板が設置され、墳形を表わした形をしている。古墳ナンバー、全長と高さだけの簡易な仕様である。 10号墳の案内板には上に掲載したマップもあり、つぎに紹介する古墳には赤いナンバーを振った。(マップは見学しなかった北の八代台古墳群を割愛してある。)40基すべてを見学したわけではないが、写真だけの古墳はこちらでどうぞ。また、マップの原図はこちら(PDF)。 <参考HP> 千葉県教育委員会>公津原古墳群 成田市>公津原古墳群(千葉県指定文化財)(PDF) 公津原3号墳(瓢塚、ひさごづか) (成田市加良部・前方後円墳) |
|
| 公園内に4基の古墳があるも、駐車できなくて飲食店に駐めさせていただいた。夢庵はほかの店を利用しているので、お許しを。そして、公園内には大量の落ち葉が降り注いで、作業員の皆さんがブローで集めた落ち葉をブルーシートに乗せて運んでいた。 支群の瓢塚古墳群で、前方後円墳はこの3号墳だけだ。全長65m、高さ3m。 なお、古墳ごとにナンバーを示した、簡易な案内板があるのに、どういうわけか4号墳には無い。ほかには盛上がりは見当たらないので、間違い無いだろう。念のため、散歩しているご夫婦にお尋ねしても、確信は無いようだった。(公津原古墳群の墳丘写真に写真あり。) 公津原8号墳(船塚、ふなづか) (成田市赤坂・前方後方墳) |
|
|
|
| 8号墳は赤坂公園内に整備されているが、駐車場が無いので隣接する保健福祉館に駐めた。 こちらには、普通の案内板もある。公津原古墳群は南から瓢塚(ひさごづか)、天王・船塚(てんのう・ふなつか)、八代台(やつしろだい)の支群から構成され、8号墳は天王・船塚古墳群の主墳であるという。発掘調査はされていないが、埴輪片が採取されている。 そして、簡易な案内板では長方墳で、墳形を表わす形も長方形。長方墳なんて初めての見学だと少しばかりの感動があったが、あとでマップで確認したところ、前方後方墳だった。3段築成の、全長85m、高さ7mである。ちかくには、円墳の9号墳があった。 公園のトイレ付近にはドングリがいっぱい落ちていて、振り返ったら散歩の途中らしい、歳を召された男性が墳丘を上っていた。 公津原16号墳(石塚、いしづか) (成田市吾妻・前方後円墳) |
|
|
|
| 吾妻北団地内にフェンスで囲まれ、ひっそりと佇む16号墳。簡易な案内板しかなくて、よくわからない。 石塚古墳という別名があるくらいだから、前方後円墳のほかに特徴的ななにかがあるはずなのに…。全長は33m、高さ3m。 公津原17〜20号墳(成田市吾妻・すべて円墳) 吾妻小学校の校庭には、4基の古墳が残存している。当日は体育の授業中だったので、お邪魔にならないように、校庭外からの見学になった。 なので、簡易な案内板も校舎側を向いているのか、見つけられず、残念。 ワンちゃんの散歩に付き合っているご婦人は、「古墳のうえの柿を初めて見た。いつも通っているのに…」と。写真ではよくわからないが、柿の実が意外に残っている。 柿の木があるのは、20号墳で、3枚組写真のいちばん上。つぎが19号。3枚目は遊具で見づらいが右が18号墳、左が17号墳である。 公津原21号墳(天王塚、てんのうづか) (成田市吾妻・前方後円墳) |
|
|
|
| 木々に囲まれ、墳形がはっきりしない天王塚古墳。まるで小さな森のようだ。公津原8号墳(船塚)とともに、天王・船塚古墳群の主墳である。駐車場が無いので困っていたら、吾妻3丁目集会所にあったので短時間、利用させてもらいました。 イチョウの葉が散った、鳥居のある前方部登り口に簡易な案内板があって、全長63m、高さ4mと告げていた。公津原古墳群では最大の前方後円墳だ。ちなみに、円墳で最大は10号墳で、径33m。 この前方部の階段を上れば、墳頂に八坂神社の祠が鎮座していた。後円部を確認したら建物があり、浅間神社の祠を保護する覆屋だった。そして、後円部にも階段が整備されていた。 右の写真は、前方部の登り口。左は木々で見づらいが上が後円部から前方部にかけて、下が後円部の浅間神社。 公津原39号墳(初代印波国造伊都許利命の墓) (成田市船形・方墳) |
|
|
|
| 印波の国造である伊都許利命(いつこりのみこと)は4世紀、麻賀多(まかた)神社を創建。39号墳は伊都許利命の墓だという。 向かいの駐車場から本殿を目指せば、すぐ右手に39号墳が待っていた。全長36m、高さ5mの方墳だ。古墳出土石や石櫃(せきひつ、石棺か)があって、古墳らしさを醸し出している。木の根を足がかりに墳丘を上がれば大墓標、そして南側の道路へ下りる階段があった。 裾あたりには簡易な案内板とはべつに、横穴式石室の案内板。軟質砂岩の切石づくりの石室は玄室長3.34m、奥壁幅1.68m、前壁幅1.14mの単室構造で、開口部は崩落しているという。案内板ちかくにはそれらしき箇所があった。なお、樹齢650年を誇る御神木の大杉が本殿の後ろに聳えているので、時間が許せばどうぞ。 3枚組の写真は左上が石櫃、左下が古墳出土石で、右は崩れた開口部?(上方に穴が空いている)。 |