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大鶴巻古墳 おおつるまきこふん
(高崎市倉賀野町・前方後円墳・国指定)
大鶴巻古墳(高崎市)
(いずれも2019.2撮影)
2月にしては暖かな日で、前方部には畑があって長閑な雰囲気だ。そして、さきに訪れた安楽寺古墳とは桁違いの大きさだ。案内板によれば全長123mの前方後円墳で、同じ倉賀野古墳群の浅間山古墳とは3分の2のスケールだ。4世紀末から5世紀はじめの築造と考えられている。
2段築成というが、後円部をみればもっとありそうだ。そして、周堀の耕作地では、葺石と思われる小石がまとまってあるのに気づいた。埋葬施設は浅間山古墳と同様、見つかっていない。
なお、案内板から撮った、小鶴巻古墳も含めた実測図は、写真に合わせて角度を変えてある(右が南側)。

前方部の入口には、国指定史跡の古びた標柱、「古墳はみんなで大切にしましょう」と書かれた錆びた看板があった。ほかに、自転車が一台。農作業の方のかと思ったら、後円部で写真を撮っている人が一人いるだけだった。後円部からは、雪を被った浅間山の姿が美しい。

以下、余談。大鶴巻古墳の南には、何棟ものJR倉賀野社宅がある。国鉄民営化のときには親の転勤、転職、子の転校でたいへんだったと聞いた記憶がある。
<参考HP>
高崎市>大鶴巻古墳

小鶴巻古墳 こつるまきこふん
(高崎市倉賀野町・前方後円墳)

小鶴巻古墳(高崎市)大鶴巻古墳(倉賀野町2号古墳)の北にある小鶴巻古墳(倉賀野町3号古墳)は全長87.5mの前方後円墳で、浅間山古墳(倉賀野町1号古墳)の、半分のスケールだ。倉賀野古墳群のナンバーは、どうやら大きい順に付けたようだ。

現地でははじめ墳形がよくわからず、円墳のように見えた。ご近所の方もご存知でなかったが、後で読んだ案内板には「前方部は現在、共同墓地、畑地となっていますが、後円部高と比較して低平です」とあった。
写真は、墓地を避けて前方部から後円部を望んでいる。後円部高6mに対して、前方部高2.5mで、大鶴巻古墳よりは新しい5世紀後半の築造である。墳丘上には以前、舟形石棺が露出していたらしい。