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いたすけ古墳 (堺市北区百舌鳥本町3丁338ほか・前方後円墳・国指定) |
(いずれも2020.2撮影) |
大山古墳(仁徳天皇陵)の拝所で、黄色いジャンパのボランティアお2人に確認したのは、いたすけ古墳への道順だった。 百舌鳥駅ちかくの長塚古墳を見学して、阪和線沿いに歩けばフェンス越しに濠に水をたたえる古墳らしきが見えてきても、目当ての橋がない。通りがかりの女性に尋ねたら、住宅地をもう少し行ったところだという。 5世紀前半築造の、全長146mの前方後円墳は、古墳の保全(文化財の保護)にとって先駆け的な位置を占めている。昭和30年、宅地造成が計画され、開発のために橋まで架けられたが、市民の保存運動によって堺市が土地を買い取っている。 自然保護における尾瀬のアヤメ平みたいな存在かな。 いたすけ古墳の墳丘には木や竹が生えているのに、裸地もあるので墳形がなんとなくわかる(写真の右側が後円部)。ただ、竹の増殖は早く、裸地が埋め尽くされないか心配だ。タヌキも橋のうえに現れるらしいのだが、見学日にはカモが水濠に浮かんでいるだけだった。 なお、衝角付冑の埴輪が後円部から出土していて、右上の写真は案内板から撮った。この埴輪は保存運動のおかげか、市の文化財保護のシンボルマークになっている。 以下、消滅古墳を参考まで。 大塚山古墳(堺市西区上野芝町4丁・前方後円墳)は、いたすけ古墳から阪和線を挟んで西南1キロほどに存在していた。 昭和20年代の宅地造成によって墳丘のほとんどが消滅して、一部が残っていた前方部も昭和60年代に姿を消している。全長168m、後円部径96mで、百舌鳥古墳群では御廟山古墳に次ぎ5番目の大きさを誇っていたのに。 国土地理院の電子地形図でも、住宅街を縫う曲線の道が、いまも大塚山古墳の後円部を部分的になぞっている。 <参考HP> 堺市>いたすけ古墳 堺市>衝角付冑型埴輪 |