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大山古墳(仁徳天皇陵) だいせんこふん (堺市堺区大仙町・前方後円墳) |
(いずれも2020.2撮影) |
大山古墳の全体像を把握するには、堺市役所21階の展望室から見ればよいので、9時まえに訪れたところエレベータまえに長い行列が待ち構えていた(堺市役所の最寄り駅は堺東駅)。 守衛の方によれば、「職員たちで、9時になれば行列は無くなる」、そして「側にビルが建設中だが、古墳とは方向が違う」と。 ただ、21階からでも角度が足りないのか、航空写真のようにはいかず、樹木の茂った林のようだ。1枚目の写真がそうで、北からの眺めである。2枚目は南からの航空写真で、陪塚の樋の谷古墳ちかくの案内板に掲載されていた。黄色の枠写真は、正面の拝所である。 大山古墳の陪塚については、こちらをご参照下さい。 さて、大山古墳は、日本最大の前方後円墳で、世界三大墳墓のひとつらしくエジプト・クフ王のピラミッドや、中国・秦の始皇帝陵と肩をならべるという。全長は、840m(三重の濠を含む)を誇っている。 陪塚の銅亀山古墳ちかく、仁徳御陵ウォーキングロード沿いのモニュメントに、時計回りは正面まで2200mで反時計回りは650mと刻まれていた(右上の写真)。なので、一周するには3キロちかくも歩かなければならない。 三重の濠については、『天皇陵古墳への招待』(森浩一著)では、「第三の濠は明治三十三年とその前後の新設」としている。 そして、樋の谷古墳ちかくにあった案内板によれば、明治5年に前方部で竪穴式石室が発見されたという。記録した絵図には長持形石棺、甲冑やガラス容器の副葬品が描かれている。 右の「前方部で見つかった石棺」「金銅製の甲冑」は、案内板から撮った。 <参考HP> 堺市>仁徳天皇陵古墳(大山古墳) |