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黒井峯遺跡 くろいみねいせき (渋川市中郷・国指定) |
(いずれも2019.3撮影) |
何もない広い野原に案内板と標柱があるだけ…、以前に訪れた金井東裏遺跡も案内板しかなかった。さて、黒井峯遺跡へは車のすれ違えない狭い道だったせいか、辿り着いた高台の平坦地に拍子抜けしてしまった。 榛名山、小野子山、子持山、そして赤城山に囲まれ、古墳人も雄大な気分になったのだろう。1枚目の写真で背景の山は左が小野子山、右が子持山である。2枚目は西に10キロ離れた榛名山で、赤字は二ツ岳の雄岳、雌岳である。山に不案内な方は混乱するかも知れないが、榛名山>二ツ岳>雄岳、雌岳という関係だ。 案内板は古墳時代後期(6世紀中頃)、榛名山二ツ岳の火山爆発にともなって軽石で埋没した集落跡(災害遺跡)と述べ、「短時間に降り積もった軽石層に覆われたため、軽石層中に建物…等が立ったままの状態で保存され、また、建物の上部構造も復元できる程度に残されているなど…」と特徴を説明している。なお、二ツ岳の噴火については虚空蔵塚古墳でも触れている。 昭和57年に発見された当時は「日本のポンペイ」といわれ、左上の航空写真は緑の部分が黒井峯遺跡で、吾妻川を挟んで二ツ岳があって、右上は浅間山である。左下の写真は軽石層の断面で、いずれも案内板から撮った。 以下、余談。指定された平坦地には子持中学校がある。昔むかし、高校生と試合をしても引けを取らなかったソフトボール部はいまも健在なのだろうか。 |