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金井東裏遺跡 かないひがしうらいせき
(渋川市金井1837)
 
金井東裏遺跡(渋川市)
(二ツ岳2016.9、群馬県立歴史博物館の展示2025.4、
ほか2018.9撮影)
 
6世紀はじめに二ツ岳(榛名山系)が大噴火し、8.5キロほど離れた金井東裏遺跡には火山灰に埋もれた古墳人の生活がそのまま残された。
2枚目の写真は現地にあった大きな案内板の一部で、金井バイパス工事まえの発掘調査で古墳人が発見され、遺跡を現状保存するためにバイパスを盛り土から橋梁に代えたという。見学日は休日のため、工事もお休みで誰もいなかった。遺跡は埋め戻されたままの空き地で(1枚目の写真)、これから整備されるのかな。

発掘された古墳人は4人だ。甲(よろい)を着た古墳人<男性、身長164cm、40代。小さな鉄板である小札(こざね)を繋いだ甲を着用し、両膝を曲げて前のめり>、首飾りの古墳人<女性、身長143cm、30代。ガラス玉を繋いだ首飾りを着用し、頭を横にうつぶせ>のほかに、乳児と幼児である。
 

 
甲を着た古墳人(渋川市)と二ツ岳右上の写真は群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館の特別展「奇跡の発掘 金井東裏遺跡のすべて」の会場風景で、男女2人の復顔像まで展示してあった。
何もない現地とくらべ資料が豊富なうえに、見学者が多く古墳人への関心は高い。
右下は榛名富士の頂上から撮った、いまは穏やかな二ツ岳(左端が雄岳、次が雌岳)。
ついでに述べれば、小さく見える3座目が水沢山、そして右端の尖った大きい山は相馬山である。
<参考HP>
群馬県埋蔵文化財調査事業団>金井遺跡群
<追記>
甲を着た古墳人の小札甲、復顔像(群馬県立歴史博物館)八重桜の咲くころ、春の陽気に誘われ群馬の森を訪れた。
群馬県立歴史博物館の常設展示室に、甲を着た古墳人の小札甲の実物、復顔像などが新たに加わっていた。復顔像は、群馬県埋蔵文化財調査センターで展示されていたものと同じにみえる。