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広徳寺古墳 こうとくじこふん (埼玉県川島町表76 広徳寺墓地内・円墳) |
(人物埴輪2024.9、ほか2024.6撮影) |
広徳寺は真言宗のお寺で墓地の奥(北側)の、石段を少しばかり上ったところが広徳寺古墳である。 墳頂には美尾屋廣徳碑が立てられ、脇に梵字(ぼんじ)が刻まれた板碑まであって、ここが廣徳の墓所だとすれば古墳の二次利用になる。なお、廣徳碑は江戸期のものでも、板碑は廣徳が活躍していた鎌倉期に立てられたのではないか。板碑のある古墳は、毘沙門山古墳(羽生市)、大日塚古墳(行田市、レプリカ)を見学している。 そして、広徳寺古墳は円墳というが、東西に長く、見た目10mあるかどうか。案内板や標柱は無い。 ここで、写真の説明を。上段は墳頂の様子で向かって左が板碑、西側の墳丘を撮ったのが下段左の写真。下段右は墓地ちかくにある大御堂(おおみどう)だ。いずれにしろ、墓地だけに墓石が映り込まないようにした。 後日、かわじま郷土資料展示室で女性らしき人物埴輪の一部(左の写真)を見学した。案内によれば、古鏡や銅鈴が出土しているが、ともに現存していないという。 さて、「古墳から寺院へ」の大御堂である。茅葺きのどっしりした屋根が見学者を圧倒する大御堂は、国指定の重文だけあって、周囲に放水銃が備えられていた。 六地蔵の斜め向かいにあった案内の石碑は、美尾屋十郎廣徳の菩提を弔うため、北条政子が美尾屋氏の館跡に建立し、様式手法から室町後期に再建されたものだという。阿弥陀三尊などの安置にも触れていたので、拝観できないかと一周したが、願いは叶えられなかった。 <参考HP> 川島町>広徳寺大御堂(こうとくじ おおみどう) |