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川中島古戦場 かわなかじまこせんじょう
(長野市小島田町)
信玄、謙信の一騎討ち像(長野市)
(いずれも2026.10撮影)
海津城(のちの松代城)は信玄側の城で、謙信と戦ったところが川中島古戦場。信越本線には川中島という駅がある。昔むかし、列車で旅をしたとき、駅をまぢかに「この辺りが有名な川中島古戦場」と車内アナウンスされた。
いま地図で確認したら、古戦場は川中島駅とは数キロ離れている。ここは信玄が本陣を置いたところで、戦場は広範囲に及んだのだろう。5回にも及んだ戦いでは、4回目の八幡原の戦いは激戦で武田信繁、山本勘助が討ち死にしている。
なお平成29年、川中島古戦場史跡公園は八幡原史跡公園から名称が変更され、令和になって公園内の佐久間象山像が松代小学校に移設。

川中島古戦場の首塚(長野市)川中島古戦場は史跡公園として整備されているが、古戦場を実感できるのは八幡社にある信玄、謙信の一騎討ち像だ。実際に一騎討ちがあったかは別にして、話としては面白い。
また、大きな首塚が公園内の南北に2カ所、残存している(右上の写真が南側、右下が北側)。案内板がいずれにも設置され、ほぼ同じ内容だ。
時の海津城主は高坂弾正で、戦死者六千余名を敵味方問わずに手厚く葬り、のちに謙信は信玄に不足している塩を送った。ことわざ「敵に塩を送る」はここから始まる。
<参考HP>
長野市>川中島古戦場史跡公園