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石田堤 いしだづつみ (行田市堤根1262地先、鴻巣市袋326-1・県指定) |
(上2017.4撮影) |
石田三成が忍城水攻めのために堤を築いたのは天正18年(1590年)、関ヶ原の合戦で敗れる10年まえだ。長さ28キロの堤を1週間でつくったが、堤は決壊して水攻めは失敗に終わる。このあたり、映画「のぼうの城」に詳しい。 三成の本陣は丸墓山古墳(さきたま古墳群)に置かれ、そこから南に向かう一段高い道や反対側の盛上がりも石田堤の跡といわれる。(本陣は丸墓山古墳ではなく、ちかくの陣場遺跡があった辺りとする説も有力である。)なお、上の写真は行田市側で、桜咲く石田堤に添う道は日光裏街道だ。 |
(堀切橋2017.9、モニュメント2019.1撮影) |
おとなり鴻巣市の史跡公園へは、忍川にかかる堀切橋(左の写真)を渡る。堀切という名称は、石田堤が決壊した場所を意味している。そして、昭和8年に竣工したわりには洒落れたデザインで、土木遺産に認定されている。 新幹線高架下のモニュメントは、矢倉の中央まですすむと音声解説が流れ、奧の施設では堤の断面を見られる。(右の写真で左側に矢倉、右側に断面見学施設がある。) ただ、丸墓山古墳は賑わっているのにこちらは閑散としていて、袋ふれあい公園でゲートボールに興じるお年寄りの声がするだけだ。 <参考HP> 行田市>石田堤 国土交通省関東地方整備局 利根川上流河川事務所>石田堤之碑 |