ホーム | 古墳 | 城郭 | 旧跡ほか

軍配山古墳 ぐんばいやまこふん
(群馬県玉村町角渕4755ほか・円墳・町指定)
軍配山古墳(群馬県玉村町)
(いずれも2019.4撮影)
田園地帯に佇む様は、500mほど離れた梨ノ木山古墳と同じだ。径40m、高さ6mほどの4世紀後半に築造された竪穴式円墳で、上の写真をみても、てまえの南西側が大きく削られている。
信長の家臣である滝川一益が天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に本陣を敷き北条との神流川(かんながわ)の戦いで軍配を振るったので、軍配山古墳の名がある。ふつう古墳の墳頂は見晴らしがよくて、丸墓山古墳(さきたま古墳群)では石田三成が指揮を執っている。

軍配山古墳の墳頂(群馬県玉村町)墳頂に至るには、直登する以外にも回り道があって、男坂・女坂といったところか。
墳頂の軍配山古墳碑(右の写真)の裏には、昭和5年に発掘された際の出土品目録が刻まれている。出土品には中国渡来の内行花文鏡2面や勾玉などがあり、国立博物館で保存されている。
別名は御幣山古墳で、正式名はこちらのようだ。案内板でも、御幣山<軍配山>古墳という題名だ。御幣とか鏡は神の依り代の代表的なものである。なお、神流川の戦いでは一益は最終的に敗走している。
<参考HP>
玉村町>町史跡