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関宿城 せきやどじょう
(野田市関宿町・平城・市指定)
関宿城下町模型(野田市)
(いずれも2026.5撮影)
近づくにつれて、利根川と江戸川が分岐する高台に立派な城郭が見えてくる。これは御三階櫓を模したのだろう。平成7年開館の、入館料が一般200円の博物館である。なお、関宿城は明治の初めには廃城になっていて、紹介できる遺構はここには無い。
博物館は河川の改修とか交通についての展示が多くて、関宿城については少ないように思われた。4階は展望室になっていて、眼下を望めば城としての立地の良さを感じられ、遠望すれば双耳峰の筑波山は確認できたが、赤城山が見えなかったのは残念だった。
上の写真は関宿城博物館で撮った、関宿城下町模型の一部に、模型いうところの御三階櫓と本丸(右下の小さな写真)の現在である。

この博物館から500mほど離れたところに、本丸跡の石碑があるので、散歩がてら狭い砂利道を辿った。そして、石碑のちかくに関宿城の歴史についての案内板があった。
長禄元年(1457年)には、水上交通の要衝であるこの地に簗田(やなだ)氏が関宿城が築いている。天正2年(1574年)に後北条の支配になり、小田原征伐のあと天正18年(1590年)には松平康元(家康の実弟)が2万石の関宿藩主に。
「房総の魅力500選」のプレートには江戸末期、久世氏のころが、宿場町としてもっとも繁栄したと述べられていた。そして、廃城に際しては一部が民間に払い下げられている。
帰路は、サイクリングロードまでよじ登って駐車場に向かった。駐車場の端には、役目を終えた浚渫機が展示されていた。
「主図合結記 丙」、関宿城埋門(野田市)、薬医門(坂東市)
では、最後に、右の3枚組写真の説明をしよう。
上の写真は、野田市郷土博物館で撮影した「主図合結記 丙」(江戸時代)。方位は左が北で、利根川とあるのは江戸川だ。拡大した写真はこちら(PDF)で。同じような縄張り図は、関宿城博物館にも展示されていた。
中の写真は、廃城の際に払下げられた埋門(うずみもん、野田市東高野)。本丸までの通用門として三の丸にあった。鬼瓦には2枚の羽を並べた、久世鷹の羽を確認できる。そして、裏へ回ってみたら支え柱が何本もあった。
下の写真は、薬医門(やくいもん)。逆井城(坂東市逆井)にあるが、個人に払下げられた門を移築したものである。
<参考HP>
千葉県立関宿城博物館 野田市観光協会>関宿城跡