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逆井城 さかさいじょう
(坂東市逆井 逆井城跡公園・平城・県指定)
逆井城の二層櫓、井楼矢倉(坂東市)
(いずれも2026.5撮影)
逆井城には時折、散歩されている方が立ち寄るくらいで、見学者はほかに誰もいなかった。駐車場にはけっこう駐まっていたのに…。皆さん、グランドゴルフ?を楽しんでおられた。
まず案内板が目に付いたので、案内板を参考に逆井城の歴史を。逆井城は飯沼を臨む台地の先端にあった。江戸期の新田開発で湖水が無くなった飯沼は、後北条氏、佐竹氏、結城氏などとの領国の境だったという。逆井氏を滅ぼした後北条氏はこの城を北関東の拠点として整備し、北条氏繁が城主に。飯沼城と呼ばれたようだ。
秀吉の小田原征伐で天正18年(1590年)、飯沼城も廃城を余儀なくされている。

見学日は5月中旬。空堀のてまえから、復元された二層櫓と井楼(せいろう)矢倉を一緒に撮ろうとしたら、桜の葉が邪魔をして上手くいかない。桜の木は葉桜の時期を迎えていた。そして、立入禁止になっていたのは、二層櫓へ向かう空堀に架けられた橋で、城内の見学には支障が無かった。どうやら橋脚に問題があるらしい。
逆井城の主殿、鐘掘池(坂東市)主殿は、関宿城(野田市)から移された薬医門を入ったところにあった。なかを覗いてみれば 畳敷き、ふすま絵のある部屋に、隣は板敷きの控えの間。いずれにしろ質素な主殿で好感が持てる。
案内プレートによれば、大台城(茨城県牛堀町)の主殿遺構を参考にしている。そして、「前面には枯山水庭園が広がっています」とあっても、浅学のものには砂利が広がっている記憶しか無い。
そして、鐘掘池。案内プレートはあるが、湧水豊かという池が見つからない。天文5年(1536年)、後北条氏に敗れた逆井常繁の奥方(娘とも)が、釣り鐘を被って入水。鐘掘池の名は、釣り鐘を探すのに池を掘ったからである。
<参考HP>
坂東市>逆井城跡公園 茨城県教育委員会>逆井城跡