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 山小屋、休業か
雲取ヒュッテ (1997.2、2009.5撮影)
雲取ヒュッテ
雲取山荘が混んでいるときに、雲取ヒュッテを利用するといった噂があるが、果たしてそうか。
雲取山荘のちかくだけに、間違える者もいるのではないか、そう思いながら通りすぎただけ。お化け屋敷にならないように願う。


国師ガ原高原ヒュッテ
(1996.5撮影)

国師ガ原高原ヒュッテ背景は、乾徳山である。営業していれば利用する者もいるのではないか。周辺には、テント泊まりの輩も結構いる。
乾徳山は、頂上付近が岩ゴツゴツゆえに、人気の山だ。山小屋としては絶好の位置にあるだけに、惜しい。
しかし、日帰りできる山域なので、やはり利用されないかも…。山小屋の経営は難しい。
<追記>
その後、国師ガ原高原ヒュッテは装いも新たに避難小屋になったとの情報あり。


川苔小屋 (1996.12撮影)    (2010.5テルゾウ撮影)
川苔小屋これまで3回、川苔小屋の前を通過した。奥多摩はコミコミのエリアなので、この小屋を見た方も多いだろう。
休日に営業すれば、飲み物くらい売れるのでは?
「山の思い出 美しく」なんて看板にあるのに、月日が経つにつれ登山道脇の粗大ゴミになっている。トイレとか、四阿(あずまや)とか、再利用してくれないかな。もうお役所の仕事でしょう。
<追記>
廃屋と化していた川苔小屋は解体されていた(右の写真)。丸太や板は現場に放置され、看板もあった。山小屋の行く末はこんなもの? せめて、廃材を再利用してほしい。


日ノ出山荘 (2004.10撮影)
日ノ出山荘塔ノ岳山頂にある。尊仏山荘の、崩れかかった物置だと思っていたが、下るときによく見たら、日ノ出山荘と看板があるではないか。
鉄錆が浮いた山荘は、もはや山小屋として機能しないのでは…。山上の鉄くずをどうやって処分するのだろう?
<追記>
2013年3月、日ノ出山荘は解体・撤去。鉄くずはヘリで運ばれ、木材は尊仏山荘の薪になるようだ。

勝縁荘
(2008.6撮影)
勝縁荘木立のなかに佇む勝縁荘、沢沿いにあって立地は素晴らしい。しかも、『大菩薩峠』の中里介山が滞在した、由緒ある山小屋なのだ。庭にはテーブルが出され、軽トラも駐まっていたので、はじめ営業しているのかと思ったが、車のナンバーは外されていた。
なお、大菩薩峠の介山荘が07年、改装したときだけ臨時営業したらしい。
<追記>
2014年5月、20年ぶりに営業を再開した。ヤッター! そして、15年5月、再び閉鎖された。ザンネン!

乙女茶屋 (2014.12撮影)
乙女茶屋茶屋で失礼。乙女峠は金時山と箱根外輪山との分岐で、昔むかし金時山に登ったときには、たしかに営業していた。
いまは落書きも目立っていて、そのうち朽ち果てるでしょう。