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7.ゴキブリバスター2
ティッシュ攻撃は…
 俺の朝は5時もあれば6時もあり、7時もある。いずれもそっと起きる。日当たりの悪いわが家の台所は真っ暗だ。静かに電気のスイッチまで近づいてパッと点けると、ゴキたちがフローリングの床をササーッと逃げて行く。毎度おなじみの鬱陶しい朝だ。
 ゴキブリは衛生に悪いのでは…と思う。だから退治することに決めたのだ。最初はおっかなびっくり。ティッシュなどで捕まえては、ギュッギュッと圧力を加えて殺していた。それは何層にも包まれたティッシュの中のことで、恐らくこれで死んだだろうということで納得して俺の攻撃は収まっていたのだ。ところが、長い間ゴキとの闘いを続けているうちに、それでは満足できなくなって来た。
 というのは、そうした実感のないゴキ退治では、果たして本当に奴らの息の根を止めているのかどうか疑問がわいてきたからだ。奴らは恐るべき生命力の持ち主で、腹をつぶしたくらいでは、まだ這いずり回って逃げることができる。潰されて肉体を壁に張り付けながらも触覚をヒクヒク動かして生きている。
 そんな奴らだから、ティッシュ攻撃ではまだ生きている可能性がある。必ずティッシュを開いて死を確認しなくてはならない。

ゴキの“気”とは
 中国に“気功”というものがあるようだが、確かに“気”というものは存在するのかもしれない。科学は万能ではない。科学的に知られていないことが即ち“ないこと”にはならないのは自明である。
 いつも不思議に思うのは、俺がゴキを見つけたとき、奴らは大概“ビクッ”とすることだ。身体が“ピッ”と緊張するのである。どういう訳か、奴らは自分が他人から見られたことを感知する。それはなぜだろう。いわゆる“気配”というやつだろうが、これって何だろう。微妙な空気の動きなのか。それとも視線の力なのか。
 だが、奴らは自分が狙われていることに完全には気づいていない。「何だかおかしいぞ」と、漠然とした警戒感を抱くのである。
 そんなとき奴らはどうするか? これはほぼ共通している。動きを停止するのである。攻撃を察知したときの奴らの動きは、それこそ脱兎のごとく、ゼンマイを一気に緩めたかのような勢いで逃走するが(それも個人差がある。ここも面白いところだ)、見られたくらいでは奴らは動かない。奴らにはまだ次の事態が予測できないのだ。
 可哀想に、奴らには想像力がない。奴らが想像力を手に入れたとき、ゴキたちは人間以上の存在になるかもしれない。逆に人間の側から言うと、想像力のない人間、こいつらはゴキブリ以下だ。ああ、こうしたゴキブリ以下の奴らがいかに地球にあふれていることか。

トドメを
 俺が攻撃に出ようとしたとき、奴らの行動は二つに分かれる。一つは何とか逃走しようと努力するパターン、もう一つはやり過ごすには動かないのが一番だとひたすらじっとしているパターンだ。
 石のように停止してしまった奴は、こちらが気づかなかったらともかく(気づかないこともたまにはある。完膚なきまでに身体を破壊されたゴキの累々とした屍の中で、ゴマ粒の3分の1くらいの大きさの奴が死んだふりをしていて見逃してしまったことが何度あっただろう)、気づかれたら一巻の終わりだ。ゆっくりと伸びて来た大きな指が(これは人差し指でも中指でも親指でもある)ブチッと手ごたえを得るまで潰してしまう(ゴキたちの命の強さときたら…)。胸から下をもがれてしまって、2本の触覚をゆらゆらさせながら頭だけで目的もなく歩いている奴もいる。しかし、奴は早々に死ぬだろう。
 繰り返すが、トドメという行為はゴキブリ退治では欠かせない。

(2003年2月 宍戸)