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永明寺古墳 ようめいじこふん (羽生市下村君・前方後円墳・県指定) |
(衝角付冑は2018.9、ほかは2021.5撮影) |
永明寺(ようめいじ)古墳は羽生市の外れにあって、北には利根川が流れ、西の東北自動車道もちかい。永明寺では、新旧の古墳標柱を控えさせた真浄門(仁王門)が迎えてくれる(下の写真、仁王像は延宝元年に造立された石造り)。門の下の、車止めポールに貼られた案内に指示され、古墳の見学者は右に回り込む。 墓地の脇を進めば、大きなイチョウ(樹齢500年超)の奥に案内板が2つ。上の大きな写真で、実測図は案内板から撮った。出土した衝角付冑は、さきたま史跡の博物館の特別展「埼玉の古墳3」に展示されていた。 写真ではわからないが、木々の下に永明寺古墳が佇み、後円部に薬師堂、前方部に文殊堂が建てられている。 案内板によれば、墳丘長78m、築造は埴輪や火山灰(榛名山系の二ツ岳)の分析により、5世紀末から6世紀前半である。 階段を上れば、くびれ部を含め、前方部も後円部も同じ高さで真っ平らなのに驚かされた。案内板でも、高さ7mとだけ述べている。文殊堂、薬師堂を建てるときに、地面を均したのかな。 右中の写真は、左手前の文殊堂から奥の薬師堂を眺めている。 昭和6年には後円部墳頂の主体部が発掘され、件の衝角付冑、大刀などの武具や、馬具が出土している。 これら副葬品の年代は6世紀中葉から後葉で、築造時期とのちがいから、主体部は複数の可能性があるようだ。さきたま古墳とは12キロ離れていて、埋葬されたのは杖刀人の仲間だったのだろうか。 最後に、北側の道に回って全景を撮ってみたが(上の写真)、変わらず木々が邪魔をして、墳形を露わにしてくれない。 <参考HP> 羽生市>永明寺古墳(埼玉県指定史跡) |