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東西の殿塚古墳 西殿塚古墳 にしとのづかこふん (天理市中山町・前方後円墳) |
(いずれも2020.2撮影) |
燈籠山古墳を後に、葉の落ちた柿畑(果樹園)沿いに足を進める。柿の木の、これだけの林立を見たのは初めてだ。 3世紀後半築造の前方後円墳は全長230mと大きくて、カメラに収めきれない。写真は裾に付けられた小道を、後円部に向かう際に撮った。 西殿塚古墳は、継体天皇の皇后である手白香皇女(たしらかのひめみこ)が埋葬された陵墓(衾田陵、ふすまだりょう)として宮内庁が管理していて、「陵墓地につき許可無く立入らぬこと」の警告板が当然ある。 でも、生け垣は低く、周りは果樹園で人目に付きにくい。平成24年8月、盗掘まがいの事件が起き、前方部墳頂の方形壇が掘られていたという。平成26年4月の宮内庁書陵部の調査では、方形壇全体が石積みだった可能性が高いという。方形壇の多くは土壇である。 なお、古墳の築造年代(3世紀)と皇女の生存時期(6世紀)が合わないとして、西山塚古墳を陵墓とする向きもある。このあたり、『古代天皇陵の謎を追う』(大塚初重著)がわかりやすかった。 <参考HP> 天理市>西殿塚古墳 東殿塚古墳 ひがしとのづかこふん (天理市中山町・前方後円墳) |
東殿塚古墳に興味を引かれたのは、『楽しい古墳案内』(平凡社)に掲載されていたからだ。 長さ139mの前方後円墳は前方部が長く、裾からはユニークな埴輪が出土したという。3世紀後半の築造である。 西殿塚古墳の裾沿いを進んでいたら突如、現れたご婦人に東殿塚古墳への道をご教示願ったら、「一旦、道に戻って…。削られちゃって、こんもりしたところが後円部ですわ」と。地元の方では無く、研究者らしく思われたのは、資料も携えていたからだ。『火の路』(松本清張著)の登場人物、高須通子もこんなイメージかな。 平成9年の調査で埴輪祭祀の遺構とともに、多くの埴輪が出土している。鰭(ひれ)付楕円筒埴輪のひとつには、船が線刻してあった。上段写真の右上で、西殿塚古墳の案内板にある。日差しのせいか、写真は赤く変色している。(船の線刻絵画は下記の埋蔵文化財センターのPDFを拡大したほうが、よくわかる。) 東殿塚古墳を回り込んでみると、柿のほかミカンの木も植えられていて、林のようになっているところが前方部かな(下段の写真)。側には細長い溜め池があり、鯉?が跳ねたのには驚かされた。 <参考HP> 天理市>東殿塚古墳 天理市>埋蔵文化財センターだよりVol.2(PDF) |