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九十九山古墳 つくもやまこふん (前橋市富士見町原之郷275-1・前方後円墳・市指定) |
(いずれも2018.12撮影。地図は国土地理院の電子地形図) |
北側の上り口には掲示版があって、「九十九山と周辺の自然観察ガイド」(南橘の自然観察と環境を守る会)が貼られていた。このリーフレットによれば、九十九山は10万年以上まえの、赤城山の火山活動によってできた流れ山だ。この流れ山を利用して、九十九山古墳が築造されたのは6世紀前半である。 そして、前方部の墳頂には白山神社の石宮3基があって、「白」は百から一を引いた字なので九十九山と呼ばれるようになったとも述べられていた。左上の写真は後円部から見た、前方部の石宮である。 九十九山は山全体が古墳ではなく、山頂付近を利用して築かれている。 地図の等高線をみれば東の土がけを除きほぼ丸く、前方後円墳にするには鞍部を削る必要がある。もし双児峰、いわゆる猫のミミだったら前方後円墳にするのは容易かな。 山と古墳の関係については、米山古墳も参考にして下さい。 そして、山を上り下りされていた地元の方から、石室は南側で、案内板もあると教えていただいた。 横穴式石室の開口部ちかくに、古墳名を示した標柱がある(左下の写真)。側面に「自然の丘の上に造られた村内唯一の前方後円墳である」と小さく彫られていたが、村内とは前橋市と合併まえの旧富士見村である。 石室はフェンスで囲まれてカギが掛かっていたので、残念ながら内部を確認できなかった。さきほどの地元の方は、以前は屈んで観察できたという。 案内板は、全長60mの前方後円墳で自然石積の石室は長さ8.3mといい、見た目の開口部は小さい。そして、円筒埴輪の存在、馬形埴輪や金環の出土が付け加えられていた。 以下、余談。上毛かるたの1枚には、「老農 船津伝次平(ふなつでんじべい)」がある。大河ドラマ「花燃ゆ」に登場していたが、幕末から明治の農業指導者の墓は、九十九山の南300mほどにある。古墳は市指定でも、伝次平の墓は県指定の史跡だ。 |