ホーム | 古墳 | 城郭 | 旧跡ほか |
船津伝次平像・船津翁の碑 ふなつでんじべい… 像(前橋市富士見町田島240 前橋市富士見支所内 2020.10撮影) 碑(東京都北区王子1-1-3 飛鳥山公園内 2019.1撮影) |
群馬県人には船津伝次平は馴染みの人物だ。上毛かるたに「老農 船津伝次平」があって、頭にインプットされている。 この像は前橋市富士見支所の、松の下にある。(功績の1つに、赤城山南麓への松の植林事業がある。) そして、像の背後には、旧富士見村の村長が揮毫したのか、大きすぎるほどの石碑があった。 翁は、天保3年(1832年)に旧富士見村に生まれて、明治10年(1877年)には大久保利通によって東大農学部(旧東京駒場農学校)に招かれ、農業改良のため全国を回ったが、とりわけ静岡県の石垣イチゴは知られている。(太陽に暖められた石によって、冬でも露地栽培ができるという。) 中村直三、奈良専二とともに、「明治の三老農」の一人。老農とは老いた農民ではなく、経験豊かな農業技術の指導者という意味だ。 墓所は、故郷の旧富士見村にあって、九十九山古墳から南に300mほどだ。 下の写真は、東京都の飛鳥山公園にある船津翁の碑だ。茶店の側なのに、目を向ける者はまずいない。公園には碑の類いがいろいろあり、景色のなかに溶け込んでいるからかも知れない。 案内板では3人のうちもっとも優れた老農と書かれ、品川弥二郎の文を刻んだ碑も同様である。 <参考HP> WEB GUNMA>船津伝次平の墓 県指定史跡(前橋市) 北区飛鳥山博物館>文化財説明板船津翁の碑 |