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芝丸山古墳 しばまるやまこふん
(東京都港区芝公園4・前方後円墳・都指定)
はじめに、写真の説明を。1枚目は後円部墳頂で、奥に伊能忠敬測地遺功表と石碑。2枚目は左手前の前方部から右奥の後円部にかけて。中央には神社(円山随身稲荷大明神)の赤いのぼり旗がかすかに見える。3枚目は前方部と神社。案内板と標柱を確認できる。
芝丸山古墳(東京都港区)
(いずれも2025.11撮影)
上野公園の摺鉢山古墳に続いて、芝丸山古墳へ。ピンポイントでちかくの東京タワーは何回か訪れたが、芝公園内の散策ははじめてだ。上野の賑わいと裏腹に、落ち着いた雰囲気である。
芝公園の管理は、東京都、港区、西武鉄道の3者。見学日には東京都側で工事をしていて、スマホで確認しても古墳への道はわからない。なので、港区管理事務所の方に、ザ・プリンスパークタワー東京(西武グループ)との分岐まで案内していただいた。港区側からの、1本の道以外は辿り着けないそうだ。

芝丸山古墳の前方部(東京都港区)わかりづらい分岐からは少し下って、上れば後円部だった。伊能忠敬測地遺功表があるので、間違いない。往時は海がちかくて、眺めも良かったのではないか。コーンがあって、「芝丸山古墳の上り下りは、港区立芝公園側の階段をご利用ください」の注意書きが貼り付けられていた。
前方部にある、虎のような石像(右上の写真)はなんだろう? そして、オレンジ色のフェンス・ネットは工事のために張られたのかな。
案内板は前方部から下った裾にあり、読み手を待っていた。
全長106m、後円部径64m、前方部幅40mは、都内最大級の前方後円墳である。続けて、江戸時代以降に墳頂部や後円部西側が削られて、明治31年に坪井正五郎が調査したときには主体部は失われ埋葬品も不明だという。5世紀の築造。
見学者はほかにいなくて、都心とは思えないほど自然と静寂に包まれていた。そして、復路は往路と同じ道を引き返し、分岐ではパークタワーからの外国人数名と出会った。
<追記>
後日の調べで、虎の像は自民党の副総裁を務めた大野伴睦の句碑。台座に句が刻まれているというが、手持ちの写真を拡大しても、読めなかった。
また、見学日には気づかなかったが、伊能忠敬測地遺功表の右にある石碑(大きな石)には瓢形(ひさごがた)大古墳と右から刻まれている。瓢とはひょうたんで、前方後円墳を表わしたと思われる。