ホーム | 古墳 | 城郭 | 旧跡ほか |
小泉大塚越3号墳 こいずみおおつかごし… (群馬県玉村町飯倉39・前方後円墳) |
(単鳳環頭大刀・冠2021.10、ほか2019.4撮影) |
芝根小学校内に保存されているのは、わかっていた。現地では、「許可なく校内に入ることを禁止します」の看板文字が目に入る。見学日は日曜で、早朝から地域の方々が周辺の清掃に励んでいた。そして、許可を得ようにも門は閉ざされ、誰もいないようだ。 学校の北側に回ると石室の位置を示すためか石が並び(上段の写真。校舎は石室を避けて建てられている)、塀の外からの見学となった。案内板は遠くて文字が読めないので、デジカメで拡大して撮ったところ、パソコンの画面では確認できた。 案内板によれば、小泉古墳群は天明3年(1783年)の浅間山噴火による軽石と泥流に覆われて(吾妻川から利根川へ流れた)、保存状態が良好だという。 平成元年の、芝根小学校建設まえの調査で、小泉大塚越3号墳も含めた5基の古墳が見つかっている。 6世紀後半に築造された前方後円墳は、周堀を含む全長は約72mほど(墳長は約50m)。2段築成で、1段目のテラスに円筒埴輪が1列に並び、馬や馬子のような埴輪は前方部、楯持ち人は後円部から出土したという。 横穴式石室は南西に開口し、石材は二ツ岳(榛名山)から産出した軽石(角閃石安山岩)。多くの副葬品のなかでも、単鳳環頭大刀は秀逸だ。環頭は鳳凰をかたどりメッキが施されている(この3号墳の鳳凰は口を閉じ顎ひげが無いのに、小泉長塚1号墳の鳳凰は口を開けて顎ひげがある)。石室はいま砂が詰められ、地中に保存されている。 下段の写真の説明を。左の写真は案内板から撮った古墳の全景で、弧状に並ぶ埴輪列、石室を確認できる。 右の写真は玉村町歴史博物館で撮った、冠と単鳳環頭大刀。冠とは右に並べられている金属片を指し、同じような金属片で復元された冠は金冠塚古墳(前橋市)を参照して下さい。 <参考HP> 玉村町>古墳時代 |