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広瀬古墳群 ひろせこふんぐん (熊谷市広瀬・上円下方墳?1基、円墳8基、方墳2基) 前橋市ほかにもあるが、こちらは熊谷市の広瀬古墳群である。熊谷駅で降りて桜堤を愛でてから、徒歩で向かった。荒川の堤防沿いには、宮塚古墳への標識がある。 宮塚古墳と広瀬4号墳は再訪で、新たに見学したのが広瀬2号墳、広瀬10号墳になる。そして、再々訪になるのが広瀬11号墳。宮塚古墳以外の詳しい情報は無い。 |
(地図は国土地理院の電子地形図に文字を追記。写真は広瀬4号墳2018.12、広瀬11号墳2022.3、ほかは2021.3撮影) |
広瀬2号墳(円墳) あぜ道を進んだ広瀬2号墳は、鬱蒼とした木々が広がり、意外に大きく見える。 墳頂に小さな祠があるおかげで、田んぼにされなかったのかな。夏は、稲穂の海に浮かんでいるのだろう。標柱、案内板は無く、少し離れて宮塚古墳があり、写真の左端に見えている。 宮塚古墳(上円下方墳?・国指定) 広瀬2号墳からあぜ道を再び進んだら、葺石と思われるいくつもの石があった。 まえに見学したときより、墳形が露わに。落葉したのか、それとも木々を刈ったのかも知れない。 宮塚古墳について詳しくは、こちらの頁をどうぞ。 広瀬4号墳(円墳) 日吉山王宮が広瀬4号墳だったとは、帰宅後の調べでわかった。盛り上がりがあって、建物が乗っていれば古墳かと思って訪れておいた。 ただ、案内板などはなく、標柱があっても宮塚古墳の方向を矢印で示したものだった。 広瀬10号墳(円墳) 運動公園でトイレを借り、新幹線の高架沿いを進む。脇道を行き過ぎたのか、すこし戻ってカーブミラーの向こう、「通り抜けできません」の看板を目にしたら、まもなくこぢんまりした広瀬10号墳だった。 標柱、案内板は無く、祠と高根大~と刻まれた石碑があった。 帰路は、小島一つ井戸跡ちかくの小島土井尻バス停から、1日4便のムサシトミヨ号(コミュニティバス)で、熊谷駅に戻った。 広瀬11号墳(円墳) 広瀬古墳群を訪れたのは、11号墳で3回目。八木橋デパートでの買い物ついでであった。 富士浅間神社の扁額が掛けられた2つ目の鳥居をくぐれば、いくつもの石碑で彩られた富士塚? の11号墳だ。裏にまわっても葺石ごときが墳丘を守っている。社務所には、広瀬東西集会所の看板も掲げられていた。 |