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赤堀城 あかぼりじょう
(伊勢崎市赤堀今井町2-1405ほか・平城)
赤堀城(伊勢崎市)
(いずれも2021.9撮影)
赤堀歴史民俗資料館の庭で、丸塚山古墳の箱式石棺を見学してから訪れた。事前の調べでは赤堀城跡の周辺には駐車スペースが無いので、民俗資料館からは徒歩。15分ほどの散歩だった。
道元橋ちかくに「道元三屋敷由来」と題する黒御影石の案内板があり、赤堀氏の来歴が刻まれていた。赤堀城と関係のある箇所には、赤堀氏は藤原秀郷の末裔で、景秀が北条氏に従って沼田城を攻めていたところ、天正18年(1590年)に、小菅信久に城を奪われたと述べられていた。

赤堀城の標識(伊勢崎市)道元橋からは鏑木川沿いを南に辿って、突き当たりを西へ進むと、赤堀城跡30mの標識があった(左の写真)。
小径を抜けたら、目の前には広い畑が拡がっていた。そして、畑を囲むようにいくつかの土塁。土塁は見た目、古墳のようだった。(上の2枚の写真は、いずれも南側から撮った。2枚には同じ家が写っているので、左右の広がりがわかる。)

五輪塔や石碑の脇に案内板があった。日差しによってかヒビ割れ、文字もかすんで読みづらい。案内板によると、赤堀城は粕川と支流の鏑木川に囲まれた、いまは畑になっている東西170m、南北350mの範囲に、一辺80mの本丸を囲郭式とした並郭城である。
そして、赤堀氏は影秀(件の黒御影石の、景秀と思われる)までは赤堀城に在城でその後、北条氏幕下(ばっか)の小菅氏が在城するも、天正18年に北条氏が滅亡して廃城となったという。
赤堀城をめぐっての北条氏に与する、赤堀氏と小菅氏の内紛なのか?秀吉に負けるわけだ。

復路は案内板の辺りから北に向かう小径を進み、規制標識のある鏑木川沿いの道に出た。(往路にこの小径を行けば、ショートカットできたのに。)
<参考HP>
伊勢崎市>赤堀城跡