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女堀(赤堀花しょうぶ園) おんなぼり(あかぼり…) (伊勢崎市下触町213ほか・国指定) |
(上から順に2019.6、2018.8、2021.6撮影) |
ASITAカルタで「つゆ空に 花しょうぶ競う 女堀」と詠まれた、赤堀花しょうぶ園。 昨夏、ちかくの庚塚古墳を探しあぐねた際に女堀の存在を知った。炎天下、しょうぶの花は散って、緑一色の女堀は山間の田んぼのようだった(右の写真)。 平安時代の嘉承3年(1108年)、浅間山が噴火し、荒廃した水田を復旧させるために女堀(用水路)が計画された。赤城山南麓の、標高95mのラインに沿った、前橋市上泉町から伊勢崎市国定町に至る13キロで、幅が25m、土手の高さは4mだ。未完成に終わった女堀の一部はいま、しょうぶ園として甦っている。 しょうぶ園まつりが終わって、人混みが落ち着いたころに訪ねてみたら、カメラに収めきれないほど咲き乱れていた。木洩れ日のもと一段高い土手(土塁)から眺めるのも一興だ。木々が植えられた土手と、しょうぶの紫や白の花がいい景色をつくっていた。 前橋市富田町の女堀 後日、ちかくの少将塚古墳を見学したあとで訪れた。 案内板では、幅20mほどの堀が半ば埋まったままで、採掘時の排土も残されているという(排土の上に木々が植えられている)。 そして、案内板から女堀という名称の由来を引用すると、「男が戦乱に明け暮れているときに女が簪(かんざし)で掘った」、「推古天皇や北条政子などの女天下の時に掘られた」そうだ。地元の伝承は面白い。 |