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久米川古戦場・将軍塚 くめがわ…
晴れているのに風の冷たい師走半ば、別件の用事を済ませて新田義貞ゆかりの久米川古戦場と将軍塚を訪ねた。ただ、いまの行政区分では東京都と埼玉県に分かれている…、距離はちかいのに。

久米川古戦場(東村山市諏訪町・都指定)
久米川古戦場(東村山市)
(いずれも2022.12撮影)
狭山丘陵の東には雑木林に被われた、ちょっと小高い八国山(はちこくやま)緑地がある。緑地の南の裾、閑静な住宅地に久米川古戦場跡の碑が建っている。
元弘3年(1333年)、生品神社で倒幕の兵をあげた新田義貞が、小手指ヶ原に続いて鎌倉の幕府軍と衝突しているが、往時を偲ぶものはいまや古戦場跡の碑くらいであった。
左下の小さな写真は碑を正面から撮ったもので、背景は八国山緑地。大きな写真は碑の斜めうらで、両軍が衝突したのは下方の川原のようだ。そして、幕府軍との戦いは、分倍河原(府中市)に舞台を移していく。
<参考HP>
東京都教育委員会>久米川古戦場
国立国会図書館デジタルコレクション>『江戸名所図会7巻』将軍塚 徳蔵寺 (図会の説明) 左上の木々に被われた丘に見えるのが八国山で、右てまえが徳蔵寺。そして、両者の間の、開けたところが久米川古戦場である。

将軍塚(所沢市松が丘)
将軍塚(所沢市)
久米川古戦場の見学を終え、東京白十字病院の脇を通って将軍塚を目指した。わずか400mほどの山歩きは、前日に雨が降ったのか滑りやすかった。時おり、散歩をされている地元の方を見かけ、鐘の音ゴ〜ンも聞こえてくる。
小振りな円墳のような将軍塚。右端は所在跡の碑(市指定)で、実物の元弘青石塔姿(元弘の板碑、国指定)は麓の徳蔵寺で展示されている。青石とは古墳の石室によく使われる緑泥片岩と思われ、聞こえていた鐘の音は徳蔵寺からかな。
左の将軍塚にも石碑があって、表に将軍塚と大きく、裏には「元弘三年新田義貞公鎌倉討伐ノ際白旗ヲ建テラレタル遺蹟」と刻まれ、昭和12年の日付があった。(なお、平家の赤旗に対し、源氏は白旗を用いた。)
帰り道、ズボンの裾が泥で汚れているのに気づいた。降雨ではなく、霜が溶けたのかも知れない。
<参考HP>
所沢市>元弘青石塔婆所在跡