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若田原遺跡群 わかたはらいせきぐん
若田原遺跡群(高崎市)若田原古墳群にしたいところだが、案内板では住居跡も含めて若田原遺跡群としている。
向かいの物見塚古墳の見学を終え、高崎八幡霊園に。地図ではわかっていたが、あまりの広大さに驚かされる。60を超える区画番号のちかくでは工事をしていて、さらに拡げるのだろうか。
霊園の造成に伴って、昭和45〜47年に発掘調査された若田原遺跡群は、縄文時代住居跡3、古墳3、古墳時代住居跡1で構成される。3つの古墳は霊園のほぼ中央に余裕をもって保存され、墓地があまり接近していない。
上の図は案内板から撮ったが、若田大塚古墳のみ古墳という文字を付いていないのは、なにか意味があるのだろうか。では、訪れた順に、3つの古墳を紹介しよう。
<参考HP>
高崎市>若田原遺跡群

楢ノ木塚古墳 ならのきづかこふん
(高崎市若田町大塚416・円墳・県指定) 
楢ノ木塚古墳(高崎市)
(いずれも2019.2撮影) 
径17.5mの円墳の別名は、碓氷郡八幡村14号古墳。横穴式石室は盗掘されていて、幸い馬金具や鉄鏃片の副葬品が残されていたと案内板は説明している。が、石室は見当たらなかった。周りを囲んでいる石は単なる土止めだろう。
なお、お隣の若田大塚古墳と同じ大きさに見えるが、観音塚考古資料館でいただいた「歴史探検ウォークマップ コース その1」の裏面に「楢ノ木塚古墳は、見た目は大きいですが、これは周囲が低く削られてしまったためで…」と説明してあった。(石組みを実際の大きさまで戻してほしい。)

若田大塚古墳 わかたおおつかこふん
(高崎市若田町大塚422-1ほか・円墳・県指定) 
若田大塚古墳(高崎市)
径29.5mの円墳で、八幡台地北側にあった古墳のなかでは大きくて、高さは7.5mある。旧陸軍の砲台としても利用されたそうだ。別名は、碓氷郡八幡村9号古墳。
楢ノ木塚古墳と同じように石組みが囲んでいて、2つの古墳は似ている。墳丘からは円筒埴輪、見当たらない横穴式石室からは鉄の槍や鉾、短甲(よろい)などが出土している。
若田大塚古墳の墳頂(高崎市)そして、墳頂へ至る階段を上ってみたら、意外に広くて石祠3つのほか、休憩用にベンチまで設置してあった。
台地にある古墳の墳頂からは、雄大な榛名山系を間近に望める。


峯林古墳 みねばやしこふん
(高崎市若田町峯林512・円墳・県指定)
峯林古墳(高崎市)
径17.6m円墳の別名は、碓氷郡八幡村16号古墳。石室は楢ノ木塚古墳、若田大塚古墳の袖無型に対して、こちらは両袖型横穴式石室だ。
峯林古墳の石室と高坏(高崎市)鉄の鎖で保護してあるように見えても、石室には簡単に近づけて内部を確認できる。(鎖は落下防止のためかな。)
天井石が無いので、上から撮ったのが左の写真だ。右の写真は観音塚考古資料館に展示してあった、前庭から出土した須恵器で上の4つは高坏。