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天王山塚古墳 てんのうやまづかこふん
(久喜市菖蒲町上栢間・前方後円墳・県指定)
天王山塚古墳 (久喜市)
(いずれも2018.12撮影)
旧菖蒲町の栢間(かやま)地区には栢間古墳群9基があり、天王山塚古墳は全長107mの前方後円墳だ。この辺りは久喜市の西外れで、梨の産地として知られる鴻巣市常光にちかい。

天王山塚古墳の実測図、後円部墳頂、周溝(久喜市)標柱と案内板がある前方部の上り口は、柿の木が小さな実をわずかに残こしていた。上の写真はこの上り口から、右の後円部を望んでいる。本格的な発掘はされていないので、主体部は不明だ。
前方部は樹木に囲まれ、1本の木に注連縄?が巻かれていた。
主軸はほぼ東西で、東の後円部へ向かって下る。鞍部は広くてお堂(薬師堂)が建っていた。はじめは古墳によくある神社と勘違いしていたら、軒下に風鐸にしては大きい、小型の鐘が下がっていて、お堂とわかった。もう一つの案内板もあり、左上の実測図はこの案内板から撮ったものだ(写真に合わせて向きを回転した。北が上)。
お堂よこの、竹が密生する藪塚が後円部の墳頂(左中の写真)とすれば、鞍部が広すぎて墳丘の形がおかしい。
久喜市のHPによると、塚は江戸後期に病気治癒のため造られた、富士山を模した小山(富士塚か)だった。
後円部が削られたのは、まず間違いないだろう。そして、竹をかきわけ富士塚に上ってみたが、何もなかった。
付近からは埴輪片が見つかっていて、製造元は鴻巣市の生出塚(おいねづか)埴輪窯らしい。

帰りは北側に降りた。庚申塔をはじめ石碑などが行儀よく並んでいたので、通りかかった方に由来を尋ねたかったがご存知でなかった。
北側から東側にかけて、ロープの張られた周溝は確認できた(左下の写真)。案内板では幅20mだが、そんなに無いように見える。そして、周溝のさきには冬支度をおえた梨畑を望めた。
<参考HP>
久喜市>広報連載久喜歴史だより 第4回 天王山塚古墳