ホーム | 古墳 | 城郭 | 旧跡ほか

側ヶ谷戸古墳群 そばがやとこふんぐん
稲荷塚古墳や茶臼塚古墳の案内板によれば、鴨川(荒川の支流)に面した三橋4丁目にある、いくつかの古墳を側ヶ谷戸古墳群という。見学日には、現存4基(茶臼塚古墳の案内板)のうち3基を訪れた。残り1基は、上之(かみの)稲荷古墳である。
<参考HP>
さいたま市>文化財紹介 側ヶ谷戸古墳群
 側ヶ谷戸古墳群マップ(さいたま市)
(副葬品は2023.6撮影、ほか2023.4撮影)
地図は国土地理院電子地形図に文字、引出し線追記
稲荷塚古墳 いなりづかこふん (さいたま市大宮区三橋4-96 大宮国際中等教育学校内・円墳・市指定)
稲荷塚古墳(さいたま市)古いカーナビには大宮西高と表示されたが、校名が上記のとおり変わっていた。そして、校内にあるので、失礼の無いよう見学にはひと声かけておいた。
稲荷塚古墳は木々が墳頂を被い、見た目も立派な円墳である。径35m、高さ5m。現在の高さは6mで、削られる古墳が多いなかで頼もしい。円筒埴輪(写真右上、さいたま市立博物館で撮影)、人物埴輪のほか碧玉や勾玉が出土している。6世紀後半の築造だ。
案内板を読み終え、裏に回って階段を上った(写真の拡大版はコチラで)。赤い鳥居と祠を囲むように椎(シイ、スダジイ)の大木が幹や枝をうねらせ、なかには地面に着いているものもあった。円墳が立派に見えるわけだ。そして、実がたくさん落ちていたけど、いまの子どもは食べないのかな。
<参考HP>
さいたま市立大宮西高等学校>稲荷塚古墳


茶臼塚古墳 ちゃうすづかこふん 
(さいたま市大宮区三橋4-502・円墳・市指定)
茶臼塚古墳(さいたま市)稲荷塚古墳の南、鴨川下ポンプ場のうらに、茶臼塚古墳はあった。側にはビニールハウスがあって、東は耕作地が拡がっていた。ただ、案内板はあっても側ヶ谷戸古墳群についてが大半で、径30m、高さ3mの円墳は7世紀の築造と述べられているだけだった。
裾に横たわる、文字が刻まれていた石材は、旧側海斗(そばがいと)村内の石橋に使われたものと、古墳とはべつの案内板が語っていた。
「側海斗」村は現在の三橋4丁目といい、読みも古墳群の「側ヶ谷戸」とほぼ同じではないか。なお、明和6年に寄進された石材は昭和のはじめまで使用され、第二のご奉公を別の水路で昭和40年ころまで続けたという。ご苦労さまでした。

台耕地稲荷塚古墳 だいこうちいなりづかこふん
(さいたま市大宮区三橋4-985・円墳・市指定)
台耕地稲荷塚古墳(さいたま市)住宅地のぽっかり空いた異空間に、赤い鳥居が目立っていた。ゴミの収集日なのだろう、たくさんの袋が出されていた。
鳥居を5つを潜って、墳頂の木々で囲まれた小さな社殿に辿り着いた。
大宮市時代に設置された案内板はいう、径は周溝の内側で30m、高さ2mの円墳と。両袖型横穴式石室の全長は4.4mで、玉類のほか武器類が出土している(下段の写真、さいたま市立博物館で撮影)。築造は7世紀である。