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大藪城山古墳 おおやぶしろやまこふん
(群馬県吉岡町南下大藪177-2ほか・前方後円墳)
大藪城山古墳(群馬県吉岡町)
(盾持ち人埴輪2022.9、ほか2019.6撮影)
覚束なく階段を上る幼児はお父さんに抱えられ、さきを行くお母さんを追った。振り返れば意外に高さがあって、眺めがよい。ここは吉岡町が新しく整備した城山みはらし公園で、貯水池や浄水場らしき建物もあった。

ただ、芝養生中の札とともにロープが張られ、平地になった最上段も同様だ。古墳を示すものは皆無なのに、フェンスが鍵穴の形をなぞっている古墳広場。後円部の大木のもとには案内板、三角点があるが、ロープが張られて近寄れない。
『群馬県古墳総覧』によれば全長53mの前方後円墳は横穴式石室をもち、埴輪や須恵器が出土している。発掘は平成24年と新しい。

宝篋印塔(群馬県吉岡町)帰宅後、写真を拡大してみれば、後円部にあった案内板は桃井城についての説明で、南北朝時代に活躍した桃井直常の居城跡だという。古代人が古墳をつくり、中世に至って武将が築城するほどの好立地だったわけだ。
南の八幡神社には、町指定の宝篋印塔(ほうきょういんとう、右の写真)がある。金剛寺跡から見つかった、この宝篋印塔は直常の供養塔らしい。
<追記>
大藪城山古墳の盾持ち人埴輪(群馬県吉岡町)後日、吉岡町文化財センターに寄ったら、大藪城山古墳から出土した盾持ち人埴輪3体が円筒埴輪とともに展示されていた。顔が無いのが残念だ。説明文によれば、土の成分から藤岡地域で作られたという。
また、二ツ岳(榛名山系)の火山灰や石室の状況などから、大藪城山古墳は6世紀半ば以降の築造。後円部の、平面短冊型の横穴式石室は東側の集落に向けて開口し、下の部分しか残っていなかった。