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川角古墳群 かわかどこふんぐん
(埼玉県毛呂山町川角・38基の円墳)
川角古墳群の地図(埼玉県毛呂山町)
     (いずれも2019.3撮影)
地図は国土地理院の電子地形図に写真と文字、トレースを追記のうえ掲載しました。
毛呂山(もろやま)町を流れる越辺(おっぺ)川沿いに、下流にあたる北側から大類(おおるい)古墳群、川角古墳群、そして西戸(さいど)古墳群がある。
今回は、町の歴史民俗資料館を起点にして、時計回りに川角古墳群ほかを巡ってきた。左図の赤い線が歩いてきたルートだ(登山用GPSのガーミンを持参してトレースを記録し、カシミール3Dで地図上に復元した)。
資料館まではコミュニティバスの、もろバスを利用できるが、運行日にご注意下さい。

川角古墳群(埼玉県毛呂山町)見学日は午後から雨の予報で、9時まえに訪れたがすでに小雨模様である。資料館の敷地内にある西戸2号墳を見学して、北に向かう道は鎌倉街道(上道、かみつみち)だった。街道は川角古墳群を南北に横切っている。
十字路には小さな円墳があって、墳頂に庚申塔が立っていた(右上の写真)。諏訪の森の庚申塔である。
特別支援学校を右にみて、延慶(えんぎょう)の板碑に向かう。周りには径10mから15mほどの古墳がいくつもあって、7世紀はじめから半ばにかけて築造された群集墳だ。大刀、腕輪などが出土していて、埴輪は無い。
学校の敷地内にも古墳があると思ったら、土管が入っていた(右中の写真)。土管くぐりなのか。
ちかくの崇徳寺跡に立っていた延慶の板碑は、昭和37年に移設された。埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市)に展示の板碑はレプリカばかりで、林に佇む大型板碑は素晴らしかった。
延慶の板碑を後に、道路沿いのところどころにある円墳(右下の写真)を眺めながら北にすすむ。支援学校とグラウンドを分ける道はさきほどの鎌倉街道だ。

グラウンドのフェンスが切れた辺りで右に折れ、畑のなかの大類積石塚古墳を撮影していたら、大粒の雨が落ちてきた。急いで資料館に戻り、時間を確認したら出発して1時間も掛かっていなかった。
資料館は借りた資料も展示しているとの理由で撮影禁止、入館は無料だった。
<参考HP>
毛呂山町>崇徳寺跡と延慶の板碑