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柊塚古墳  ひいらぎづかこふん
(朝霞市岡3-17・前方後円墳・県指定)

(2021.3撮影)
東側の駐車場から馬形埴輪のモニュメントに見送られ、急な階段を上れば、柊塚古墳歴史広場に。立入りは周濠部分の芝生までで、墳丘は上られない。
案内板によれば全長72m(墳長66m)、後円部径48m、前方部長18mだ。木々が墳形を曖昧にしているのか、円墳と見紛うほど前方部が小さい。写真の右端が前方部になる。
駐車場にあった案内図をみても、削られているのは確かである。(写真の左下が案内図で、古墳の向きに合わせて回転した。)築造は6世紀前葉だ。
柊塚古墳の家形埴輪と円筒埴輪、トイレ(朝霞市)縦穴系の埋葬施設は後円部に木炭槨、粘土槨と2つ。右上の写真は家形埴輪(後円部の墳頂)と円筒埴輪(周濠)で、朝霞市博物館で展示の実物を撮影した。

同じ根岸古墳群に属する、一夜塚古墳の跡地を見学するために、西側入り口へ向かったら、トイレは家形埴輪を模したもので(右下の写真)、委託された方が掃除をされていた。円筒埴輪のほうは、車よけポールの代わりかな。
西側入り口を出ると、柊の垣根が巡っていた。柊塚古墳! そして、墳丘に階段がみえるのに、扉にワイヤー錠が掛けられていた。

以下、余談。朝霞市博物館への入館は無料で、展示されていた水車が突然、動き出したのには驚かされた。センサーで作動するようだ。
<参考HP>
朝霞市>県指定史跡 柊塚古墳

一夜塚古墳  いちやづかこふん(朝霞市岡3-16-13・円墳)
一夜塚古墳(朝霞市)柊塚古墳から、歩いて向かう。小学校の敷地内にあっても、記念碑はフェンス沿いに見学できる。
よこの案内板には記念碑裏面の文が記され、消滅した古墳の概容がわかる。
一夜塚古墳は径50m、高さ7mの、大きな円墳だったが、小学校の敷地を拡張するため昭和18年に崩したという。
木炭槨からは漢鏡、管玉、直刀などが出土して、柊塚古墳とともに地方豪族の墳墓だったと述べている。
『埼玉の古墳3』(さきたま史跡の博物館)には、当時の全景と出土品の写真が掲載されている。