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権現山古墳群 ごんげんやまこふんぐん
(ふじみ野市滝・前方後方墳1基、方墳11基・うち6基県指定)
権現山古墳群(ふじみ野市)
(2019.7撮影)
駐車スペースは無く、少ない交通量が救いだ。側の駐車場は見学者用ではなく、契約者のみ駐められる。
梅雨空の下、史跡の森は草木が繁茂し空気は湿っていた。出掛けるときに蚊除けスプレーを掛けてきたが案の定、蚊に刺されてしまい、素早く古墳群を巡る。見学用の通路が整備されて一部、木材チップが敷いてあり、散歩とみえる方と朝の挨拶を交わした。

権現山古墳群配置図(ふじみ野市)古墳時代初期の3世紀から4世紀にかけて築造された古墳群だ。埼玉県内でもかなり古く、卑弥呼の墓かも知れない箸墓古墳は3世紀中ごろ〜後半の築造だ。
古墳群は前方後方墳の1基を除いた11基は方墳で、6・8・9号墳は現存しない。残った古墳も時の流れとともに墳丘は削られ、円墳のようにみえる。
権現山の名は、鷹狩り好きの徳川家康がこの地で休憩したからだという(家康の尊称は権現様)。そして、山というより高台の縁(へり)にあり、北側を新河岸川が流れている。
この古墳群には、いくつかの案内板がある。ひときわ大きい前方後方墳は墳長32m、後方部20m四方の2号墳で、権現山古墳群を代表する。いまの、ふじみ野市一帯をまとめた盟主の墓と考えられているという。なお、2号墳にちかい北入口付近は、西洋タンポポに押されている日本タンポポの保護地になっていた。

上の大きな写真は2号墳で、手前の前方部から後方部を望んでいる。配置図は案内板のひとつから撮り、周りを出土土器が囲んでいる。赤の数字はわかりやすいように、こちらで追記した。
底部穿孔壺形土器、はそう(ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館)土器は帰りに立ち寄った、ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館に展示してあり、埴輪への過渡期にあたるのか、底部に穴を空けたもの(底部穿孔壺形土器、左の写真)も見学できた。個人的には消滅した権現山「北」古墳群1号墳の、須恵器(はそう、右の写真)がよかった。