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大山古墳の陪塚 だいせんこふんのばいづか
堺市役所から大山古墳(仁徳天皇陵)に向かう際、多くの陪塚に出会えた。最大古墳の周りには、最多の陪塚があるのかな。
拝所のある正面へは西側を通っていたので、東側は残念ながら時間の関係で見学できなかった。そして、埋葬のケースが多いといわれる、帆立貝形の比率が高かった。
永山古墳 丸保山古墳 菰山塚古墳 樋の谷古墳 銅亀山古墳 狐山古墳 竜佐山古墳 孫太夫山古墳 収塚古墳 長塚古墳
<参考HP>
堺市>古墳データベース

永山古墳 ながやまこふん
(堺市堺区東永山園・前方後円墳・市指定) 
永山古墳(堺市)
(いずれも2020.2撮影)
堺市役所21階からの展望を楽しみ、大山古墳に向かう道すがら、交通量の多い中央環状線沿いにあった。
5世紀の築造で、全長は100mの前方後円墳。昭和3年に円筒埴輪が出土したと案内板にはあったが、埋葬施設や副葬品は不明である。規模も大きく、墳形が前方後円墳のため独立した古墳かも知れないという。『天皇陵古墳への招待』(森浩一著)には、永山古墳を含めた3基は「墳形や配置からみて、大山古墳の造営以前からあった古墳の可能性がある」と述べられていた。
写真は前方部から後円部にかけてで、実測図は案内板から撮った。


丸保山古墳 まるほやまこふん 
(堺市堺区北丸保園・帆立貝形・国指定) 
丸保山古墳(堺市)
住宅街にある古墳で、町内会の掲示板も古墳を囲むフェンス沿いにあった。ちかくでは、大阪のおばちゃんたちの会話がつづく。埋葬施設や副葬品は不明で、円筒埴輪が出土しているのは永山古墳と同じだ。5世紀中ごろ築造の、全長87mの帆立貝形。写真は張り出しから後円部にかけてで、見た目は円墳のようだ。一部、水壕が巡っていて、墳丘が削られているのが気になる。

菰山塚古墳 こもやまづかこふん
(堺市堺区南丸保園・帆立貝形)
菰山塚古墳(堺市)
丸保山古墳と同じく、こちらも住宅に囲まれている。円墳のように見えるが現存全長は33mで、後円部は現存高さ4mの帆立貝形だ。埋葬施設や副葬品は不明で、円筒埴輪や動物埴輪の一部が出土している。どこかで見たような古墳だと思っていて、帰宅後、確認したら太田市の牛沢稲荷山古墳で、似ているのは斜めの大きな木だった。 

樋の谷古墳 ひのたにこふん(堺市堺区大仙町・円墳?)
樋の谷古墳(堺市)
案内板では「樋」と2点しんにょうである。ただ、付近を見てもどれが古墳なのかわからず、散歩をされている方に「濠にうかぶ島」だと教えていただく。案内板には5世紀中ごろの築造で、径47m、高さ2.8mの円墳とあるが、濠を浚渫したときの盛り土で古墳ではないとの指摘もある。

銅亀山古墳 どうがめやまこふん 
(堺市堺区大仙町・方墳)
銅亀山古墳(堺市)
 散歩されている方が多く、石製のモニュメントには仁徳御陵ウォーキングロードとあった。銅亀山古墳は5世紀中ごろ築造の、一辺26m以上の方墳である。案内板のよこに、古墳名を刻んだ古めかしい石碑が設置され、手前には石材らしき石が並んでいた。南側には濠がないので、前方部や造り出しの存在を推定できるという。

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狐山古墳 きつねやまこふん
(堺市堺区大仙中町・円墳)
狐山古墳(堺市)
5世紀後半築造の、径30mの円墳である。濠からは転落した葺石、埴輪、須恵器が出土している。キツネもいないし、申し訳ないが、あまり印象に残らなかった陪塚である。

竜佐山古墳 たつさやまこふん
(堺市堺区大仙中町・帆立貝形・市指定)
竜佐山古墳(堺市)
ウォーキングロードは大山公園内へ入り、大山古墳の正面はちかい。案内板によれば5世紀後半〜末の築造で、帆立貝形。濠からは転落した葺石や埴輪が出土していて、写真の右側が後円部になる。付近には、オブジェのような石材ごときが並んでいる。 いこらの森と刻まれている石碑もあったが、関東の人間には「いこら」がわからない。

孫太夫山古墳 まごだゆうやまこふん
(堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁・帆立貝形・市指定)
孫太夫山古墳(堺市)
大山古墳正面の反対側にあって、中心線上の陪塚なので、関係の深さが窺えると案内板はいう。5世紀中ごろの築造で、全長65mの帆立貝形。土製勾玉も出土したらしい。よく整備されていて、写真の右側が後円部になるのは、竜佐山古墳と同じだ。

収塚古墳 おさめづかこふん
(堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁・帆立貝形・国指定)
収塚古墳(堺市)
帆立貝形らしいのだが、東側の後円部だけが残存しているので、円墳のように見える。5世紀中ごろの築造で、全長59m。埴輪のほか須恵器も出土し、風情のある石碑がある。 後円部には、鉄製短甲の破片が散乱していた。ちかくには、白い仁徳天皇像もある。

長塚古墳 ながつかこふん
(堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁・前方後円墳・国指定)
長塚古墳(堺市)
 いたすけ古墳へ向かう際、JR百舌鳥駅近くにあった。5世紀中ごろから後半に築造された、くびれ部に造り出しのある前方後円墳。長塚とは、いかにも前方後円墳らしい名称である。墳丘と濠から円筒や蓋形(きぬがさがた)の埴輪が出土している。蓋とは貴人に差し掛ける傘で、案内板から撮った部分(写真右上)では形が分かりづらい。
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