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上野三碑 こうずけさんぴ
上野三碑レプリカ(高崎市)
(2019.8撮影)
飛鳥、奈良時代の古い石碑が3つも高崎市南部に現存する。石碑を造立する習慣は中国、朝鮮からもたらされ、この上野三碑は平成29年(2017年)、古代東アジアの文化交流を示す歴史的な記録としてユネスコの「世界の記憶」に登録された。
上の写真は群馬県立歴史博物館で撮影したレプリカで、三碑の大きさを比べるのには都合がよい。

上野三碑マップ(高崎市)
(山上碑、金井沢碑2019.5、多胡碑は2023.3撮影)
(地図は国土地理院の電子地形図に写真、赤い文字、引出し線を追記)

いずれの石碑も、お堂のような覆屋に保存されていた。そして、ガラス越しの撮影は光が反射して出来はいまいちだった。しかもデジカメは昔の普及品で、腕も悪い。
つぎに、造立の年代順に石碑を紹介しますが、見出しのような括弧書きは該当する「上野三碑かるた」からです。銘文は、下記<参考HP>を参照して下さい。

山上碑 やまのうえひ
(高崎市山名町字山神谷2104・山上碑及び古墳として特別史跡)
「母父へ 想いを刻む 山上碑」
スマートな山上碑は、681年に造立。放光寺(山王廃寺)の僧・長利が、母の黒売刀自(くろめとじ)を追善供養するために建てた碑。(完全なかたちで現存する)完存品では日本最古の碑で、文字は漢字でも日本語順になっている。
山上古墳を見学する際にお隣の山上碑を訪れ、たまたまいた職員の方には長利の文字がどこに刻まれたかを教えていただいた。長い階段が印象に残っている。

多胡碑 たごひ
高崎市吉井町池1095・特別史跡)
「建郡の 誇りを刻む 多胡の古碑」 
上部が笠状になっている多胡碑は、和銅4年(711年)に造立。多胡郡を設置した経緯は『続日本紀』と同じ内容で、初代の郡長官の羊(ひつじ、渡来人)のほか、藤原不比等など平城京の高官名も刻まれている。
広々とした公園にあるので、気持ちがよい。公園内の古墳2基は訪れたけど、正倉跡も見学したかった。記念館では現物と同じ牛伏砂岩のレプリカを触らせてもらい、終戦時、米軍による破壊を避けるため埋めた話などをお聴きした。

金井沢碑 かないざわひ
(高崎市山名町金井沢2334・特別史跡)
「仏教の 広がり刻む 金井沢」
どっしりした金井沢碑は、神亀(じんき)3年(726年)に造立。仏教をあつく信仰する、三家氏(みやけし)が先祖の供養と一族の繁栄を願ったものだ。
ピンクのコデマリ?が咲いて、ツツジは満開だった。杖がたくさん置かれていたが、山上碑の階段に比べたらコチラはましでしょう。そして、上野三碑を巡るバス(ジャンボタクシー車両)は無料なのに、乗客は一人だけだった。
<参考HP>
高崎市>上野三碑とは