ホーム | 古墳 | 城郭 | 旧跡ほか

五料関所跡 ごりょうせきしょあと
(群馬県玉村町五料・町指定)
五料関所跡(群馬県玉村町)
(いずれも2021.10撮影)
伊勢崎方面からは、利根川に架かる五料橋(写真の中央奥)を渡ればまもなく五料関所跡だ。日光例幣使道では、唯一の関所である。日光例幣使道は例幣使(天皇の勅使)が、京から辿った中山道に倉賀野宿で別れを告げ、東照宮のある日光を目指して通った街道だ。
土手の工事でもあるのか、見学日にはてまえの道路を何台ものトラックが行き交っていた。

手書きの案内板を読めば、戦国期にはすでに関所があって通行料を徴収し、元和2年(1616年)には幕府公認の関所になったという。そして、リーフレット『日光例幣使街道』(群馬県教育委員会)によると、「開設時は前橋藩の管轄であったが、元禄10(1697)年から幕府の支配となった」。
関所の出入りは、玉村宿方面からは例幣使道筋の門を入って、船着き場に至る門を退出する仕組みで、往時は渡し船で坂東太郎(利根川)を渡っていた。五料関所跡の礎石、井戸(群馬県玉村町)(日光例幣使道については、玉村町歴史資料館で紹介している。)

例幣使道筋の門の礎石(沓石)と古井戸が現存していて、いずれも町指定。礎石は道の両側にあって、白ポールの車止めで守られているが、雑草で見づらい。
古井戸は離れているので、ご注意を。(見学される方は、上の大きな写真の道を左に折れた先を探してみて下さい。)フェンスに囲まれた青い屋根の下には、またフェンスが置かれて、なかも暗くて覗き込めなかった。脇には玉村町教育委員会の標柱がある。
右の写真は上が礎石で、下が古井戸である。
<参考HP>
玉村町>町史跡