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5.ゴキブリバスター
ゴキブリバスター見参
 少し前の母親達は背中に赤ちゃんをおぶったものだが、最近は前に吊り下げている母親も多い。
 これがいけない。これが非情なゴキブリバスターの心を弱らせる。
 ゴキの母親は人間と同じようにおなかの上に楕円形の卵を抱えているのだ。直立歩行はもちろんしないが、大切そうに卵を抱えてよちよち歩いているからすぐ分かる。それが人間の母親を連想させて、うっすらと憐憫の情を呼び起こすのだ。「俺は今から命を奪うのだ」という意識がフッと浮かび上がってくる。
 しかし、それはほんの一瞬だ。奴らを皆殺しにすると決めた日からもう後戻りはできない。「俺はゴキブリバスターであることを選択したのだからもはや進んで行くしかない」。そう自分に言い聞かせて、奴を叩く。奴はたいがい一撃では死なない。ヒクヒクしながらまだ命をもっている。卵も強くヒットしないとつぶれない。腹から外れてその辺に転がっていたりする。テカテカした茶色の縞模様、プリプリとした弾力性がいかにも生命力にあふれている。

ゴキ卵圧殺の意義
 これをつぶさなければならない。卵をつぶすことは、ゴキブリバスターにとって大変意義あることなのだ。
 母ゴキブリはある段階で、おなかに装着した卵を切り離す。切り離された卵からおよそ30匹の子供が四方八方に旅立って行くのだ。これは鼠算どころの規模ではない。
 だから、ゴキブリバスターが卵を抱えて動きのにぶくなったゴキを発見したときは千載一遇のチャンスなのである。
 殺す。奴らを絶対滅ぼす。奴らに大した恨みなどない。どうして俺はゴキブリバスターになったのだろうか。茫々とかすむ記憶。だが、ある日俺は決意した。この決心だけは今も覚えている。生来俺は殺しが嫌いだった。ゴキとも共存して来た。油を塗ったように光る奴の身体はあまりすきではなかったが、殺したいほどの憎しみはなかった。そして今もない。
 なのに、いつ、何のきっかけで俺はゴキブリバスターになったのか。このこともよく考えてみよう。

圧殺の実際
 今の俺にとって、ゴキの卵をつぶすことなど何ともない。生命を絶つという行為は何とあっけないことだろう。
 ゴキの卵を親指でつぶすこともできる。
 ついでに言えば、素人ではできないよ。決して気持ちのよいものではない。指で押さえるとクイッとゴム毬のように反発する。まるで生きているようだ(すいません。冗談です。実際生きているんです。)。それをブチッとやる。これは例えて言うと何の感じだろうか。瀕死の患者の喉に取り付けた呼吸用のチューブを抜くときの感じか。人の腹にナイフを刺してそれをクルリと回した感じか。とにかくちょっとした決心が要るのだ。
 ゴキの卵がつぶれるとき、プチューと透明の汁が出る。これがまた何とも生々しくて気持ち悪い。

(2003年1月 宍戸)