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漆山古墳 うるしやまこふん
(高崎市下佐野町蔵王塚・前方後円墳・市指定)
漆山古墳(高崎市)
(いずれも2025.4撮影)
駐車場があるのは事前の調べでわかっていたが、どうもアパートの居住者用らしいので奥(古墳の南側)のほうを利用した。裾に植えられた八重桜は、いまが盛りである。
漆山古墳の実測図(高崎市)案内板によれば、かつて80基を誇っていた佐野古墳群では最大の、盟主古墳であるという。ただ、築造時には墳丘長が70mを超えていた前方後円墳だったのに、現状は東西38m、南北31m。案内板掲載の実測図で確認しても、ほとんど後円部しか残っていない。(平成28年、漆山古墳は所有者から高崎市に寄贈され、発掘調査では墳丘長が70mから90mに。)
前方部は削平され、フェンスを挟んで別のアパートが建っていた。墳丘面を確認したら、崩れ落ちそうなところもあって、なんとなくヤワな感じがする。
凝灰岩でつくられた両袖型の横穴式石室は、金網で保護されていて、入室できない。残存長7.8m、玄室3.7m。
この漆山古墳の埋葬者は、ヤマト政権の直轄地・佐野屯倉(みやけ)の管理者ではないかという。また、上野三碑のうち、お隣の山名町には2碑があって、山上碑には「佐野三家(みやけ)」、金井沢碑には「三家□子」の文字が刻まれているので、これらの碑は管理者の子孫が建てたともいわれる。

佐野村28号・30号・32号古墳
佐野村28号古墳、30号古墳、32号古墳(高崎市)盟主の漆山古墳の別名は佐野村27号古墳で、付近のナンバー古墳を併せて見学した。
28号古墳は新幹線の高架下ちかく、墓地の敷地内にあって、墳頂の黒い石碑には共有墓地移転記念碑と刻まれていた。
30号古墳は新幹線の高架を挟んだ、定家神社の脇にあった。この神社は新古今和歌集の選者で知られる藤原定家を祭神としている。案内板は神社についての説明で、30号古墳については一言も触れていない。
32号古墳は30号古墳と同じ敷地内の、小さな古峯神社の脇にあった。道路で削られたのだろう、細長い台形状のコンクリで土止めされている。
<参考HP>
高崎市>漆山古墳