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鳥居原狐塚古墳 とりいばらきつねづかこふん
(山梨県市川三郷町大塚・円墳・町指定)
鳥居原狐塚古墳(山梨県市川三郷町)
(いずれも2025.10撮影)
曽根丘陵に築かれた鳥居原狐塚古墳。ブドウ畑を縫う狭い道には苦しめられ、目印となる案内板に辿り着けても、どこが古墳なのか判断できない。
案内板は「…円墳で現存する部分の径は18m、高さ1m程の草地」と説明している。周囲には草地はあったが、円墳らしき草地は見当たらなかった。農作業をされている方もいないので、伺えない。
帰宅後に確認した、下掲の<参考HP>(埋蔵文化財センター)では「現在は18m×13mの方形で高さ1m程度の草地」としている。四角い高さ1mほどの草地は案内板の後方、フェンスとツタの巻き付いた木々の間にあって、写真に撮っておいた(上段下の写真)。
案内板の上に「歴史文化公園みたまの里」とあるが、赤烏(せきう)元年銘神獣鏡が出たところは、公園のイメージからは掛け離れた場所であった。

赤烏元年銘神獣鏡(山梨県市川三郷町)この鳥居原狐塚古墳を有名にしているのは、竪穴式石室から出土した国の重要文化財、赤烏元年銘神獣鏡である。
赤烏元年は中国三国時代の呉の年号で、西暦238年。魏に朝貢した卑弥呼が、銅鏡と金印を与えられた時代だ。日本は魏のみの交流と思っていただけに呉との関係、鳥居原狐塚古墳にもたらされた経緯が気になるところである。
写真は山梨県立考古博物館での撮影で、直径12.5cmと意外に小さかった。展示はレプリカでも、刻まれた赤烏元年の文字は確認できる。
<参考HP>
山梨県埋蔵文化財センター>遺跡トピックスNo.0419_鳥居原狐塚古墳の赤烏元年銘鏡〔市川三郷町〕 
市川三郷町>文化財(史跡)>狐塚