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高塚古墳 たかつかこふん
(群馬県榛東村新井高塚2974-6・前方後円墳・県指定)
高塚古墳(群馬県榛東村)
(2019.8撮影の挂甲武人埴輪を除き、2020.1撮影。)
高塚という名称はいかにも古墳らしいが、地名にもなっている。その高塚古墳は榛東村の群馬県林業試験場内にあり、昨年10月の訪問では門扉が閉じられていた。そして、「土日の公開は行っていません。平日に改めてお越し下さい。」と、ぐんまちゃんが頭を下げている注意書きがあった。

年が明けた平日、まず正門ちかくの大きな案内図を確認し、本館事務室で受付をする。「村から預かったので…」というパンフを頂戴し、古墳への道を教えてもらった。
木材加工技術センターの右脇を道なりに進んでいくと、広場のおくに小高い丘がある。階段をのぼれば、案内板、標柱、そして後円部の両袖型横穴式石室が待っていてくれた(パンフでは「石室は前方部に」と述べられている)。全長60mほどの前方後円墳は、小さな丘陵上に2段築成され意外に大きく感じられる。

高塚古墳の挂甲武人埴輪、墳丘、石室(群馬県榛東村)石室まえに鉄柵があっても斜めに開いたままで、内部を見学できる。昨日の大雨で、羨道の床が少し湿っていて、玄室にはかなりの量の砂が入り込んでいた。
パンフによれば、石室は安山岩の自然石を用いている。この自然石も大きくて、隙間にある小石は安定のため往時、詰められたのかな。
石室は墳丘と同じく、高麗尺を使用して設計してあるという。大宝令制定(701年)以前の日本では、朝鮮半島から伝えられた高麗尺が普及していた。そして、榛名山系の二ツ岳の軽石が墳丘上に堆積していたので、6世紀後半の築造とされている。

最後に3枚の組み写真の説明を。左上が出土した埴輪の挂甲武人で、幼い顔つきなのに大刀に手を掛け、いまにも抜こうとしている。群馬県立歴史博物館の企画展で撮影した。
右上は後円部墳頂から前方部にかけてで、松ぼっくりがたくさん落ちていた。林業試験場では、松くい虫抵抗性マツの研究もしている。
下段、横位置の写真は玄室の様子で、床が丸まってみえるのは吹き込んだ砂の塊。
<参考HP>
榛東村>榛東村の文化財−1−